ゆめ か うつつ か
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
わたしは今日、初めて、魚にも耳があることを知った。
骨で音を聴くことができるというのは知っていた、わたしたちはしばしば自分で知覚している声と現実に聞こえる声の相違に驚く、これは音が骨を通して伝わっているか空気を通して伝わっているかの違いだそうだが、水の中では意味をなさぬとばかりにいっそ耳を骨で覆ってしまった魚たちのいさぎよさに、それでも残されているその機関のせつなさに、なんともいえず うっとりした。
ところでしかし、魚たちは別の方法で音を利用し聴いているらしい、というと耳を失くしたのはいさぎよさと言うよりも、耳などという遅れた機関は必要無いという合理性からか。
実際水を通して聴く音の あの もやもやと掴み所の無い雑音にわたしたちの耳は対応していないことを考えると少しばかり残念に思う、水の中はどんな声に満ち溢れているだろう、それを聴く術がわたしにもあればよいと思う。
…完成させ完全にするのを恐れること。
インディアンのある部族が土器なんかをわざと作りかけのままにして使うとか。日本でもわりと、そういう志向があるよね。未完成のままとどめおくこと。近代以前の建築だと日光東照宮の逆柱、満月を不吉なものと捉える、おみくじの大吉より中吉を貴ぶ、のび太が栗まんじゅうを食べ終わるのを悲しむ(?)…これは終わること・死への恐怖にも繋がる。
欧米には全き存在=唯一神が居て、「完全性」は疑いなく賛美されるものだけど、多神教体質の日本にとってうつろうことは前提だから…諸行無常。
近代化=欧米化以後、欠けているものは補填されなければならないという合理主義的な精神は日本にも浸透しているけれど、あたしはむしろ 終らないこと の方が恐ろしい気がする。
インディアンのある部族が土器なんかをわざと作りかけのままにして使うとか。日本でもわりと、そういう志向があるよね。未完成のままとどめおくこと。近代以前の建築だと日光東照宮の逆柱、満月を不吉なものと捉える、おみくじの大吉より中吉を貴ぶ、のび太が栗まんじゅうを食べ終わるのを悲しむ(?)…これは終わること・死への恐怖にも繋がる。
欧米には全き存在=唯一神が居て、「完全性」は疑いなく賛美されるものだけど、多神教体質の日本にとってうつろうことは前提だから…諸行無常。
近代化=欧米化以後、欠けているものは補填されなければならないという合理主義的な精神は日本にも浸透しているけれど、あたしはむしろ 終らないこと の方が恐ろしい気がする。