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日本で問題になってる各種の、恐喝とか殺人とかそういう「いじめ」はいじめではなく 「犯罪」でしょう、ってノルウェーの教育学者は言ってる。確かに、そうだなよね。犯罪は罰せられるっていう認識が欠けてるから、これはいじめだからっていう言い訳の下に子供たちが死んでいく。心の教育ってそんなの、そんなあいまいなもの振りかざすんじゃなくてきちっと現状に適した対応してればもっと 助かるいのちがあるはずなのに…
忸怩ってこういう思いなのかな。
ザ・使いまわし。だってもったいないし。
愛とか恋とか友情に値段をつけるようになったら、大人の仲間入り。実際、打算抜きの生ってのは それこそ 高価すぎてなかなか、手に入らない…
古代ローマの奴隷市では学識の高い奴隷はめのたまが飛び出るほど高かった・と いうけれど… 今も昔も、知識(情報)が高価なのは変わんないみたいね、情報を処理する人間如何によって・ダイヤモンドも石ころだけどね。
隠すだけの値打ちが無ければステルスモードで生きる必要は無い、無色透明の女ってのは扱いやすそうで実は強か、っていうか強いぞ。なにせ何にも染まらないからね。
空に触れるのは 海に触れるのと同じくらいむずかしい。それは、空気や塩水に触れるのとは違うんだよ?
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ネット繋げない間に書き溜めた物語がけっこうあるので、一気に「A to Z」埋まるかも。もうこうなったら創作もちからいっぱいやってやる。書きたいこと、書かないと、ムリだ。論文に集中できない。あたしにとって書くことって食う寝るに匹敵する生活の一部なんだもん…
誰かのせいにして生きるのは簡単だよね、責任を負わずにやっていけるならそんなにラクなことはない。
あたしは、でも、誰かのためにしか動けないというならそれでもいいと思ってる、どうせこの世界に生まれたときから「存在してなきゃいけない」んだから、それが唯一無二のルールなんだから、死なないためにはどんな理由付けでもOKだと思う、人は最後の瞬間まで細胞のひとつひとつが生まれ続けている、生きたがってる、生成死滅は世のコトワリ… 誰だってみんな 生まれたての赤ん坊だって、実は、この世界にまるなげされてたったひとりだから、よりそいたいって思うのは当たり前の幻想でひとはそれに愛だとか名前をつけているけれどそんな綺麗なものじゃないの、ひとはひとりなの、永遠にひとりなの。
敗北も打算も言い訳も逃げ道も肯定して・そしてどうにか生きてくの、その方法を模索するの、それが人間って奴じゃねえのかい?
同居人の愚痴を三時間くらい聞いてたらやるせねえ気持ちになってどうしようもなく・留学時代の友人が上京してきてるのを理由に逃げるように、おうちをでた。
ああもう… 怒っても悲しんでも憤ってもどうしようもないことには感覚を閉ざして・ただ・合理的にふるまうことにしてはいるがしかし、しかしやるせなさだけは閉ざせない…
にんげんのよわさ や みにくさ を さらけだされると 怒るより先に悲しくなる、あたしはいつもそうで、ただ悲しくなるだけで…ただかなしい、すべてがかなしい。
いままで生きてきて二回だけ、他人に対して本気で怒ったことがある、けどそれは二回とも自分のことではなかった、自分を傷つけられるよりトモダチが傷つくほうがあたしは怖いし、腹も立つ。
くさくさしたので雨の中車走らせて、ダムを見に行ってきた。霧が降りてきてて紅葉に映えてけっこうよかった。
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花瓶の水には漂白剤を入れておけば腐ることもないのだ、花をもたせようと思ったらそのくらいの予備策は講じておくもの・ましてや自分をできるだけながく保たせるためにひとは一体どのくらい周到に どのくらい細心に気を遣っているものか…