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そこでアイスクリームを頼んだら、「食べられないんじゃなかったのか」というツッコミを受けた。
いやいやまあまあちょっと待って。確かに英語でも中国語でもアイスクリームは「食べる」(eat/吃)だけど、内田百間だったかなぁ、「アイスクリームは『飲む』ではないか」と言っていたのは。
行為の真実性により近い動詞に、「舐める」というものがある。
実際アイスクリームというのは液体をわざわざ固体にしてそれをまた口中で「溶か」すという不合理な、非実用的な、それゆえ贅沢なものであり、さてその溶けたクリームをどうするかというと、味わいつつ飲み下すわけだから、これはもうやはり「食べる」より「飲む」に近いんじゃねえーの??
とか言いつつ本当はアイスクリーム「食べ」たかっただけだったんだ。
*
これはジェラート。より飲みもの的。
Gの行きつけの焼肉屋にて、肉パーティー。
肉はそこまで好きというわけでもなく、焼肉も個人ではほとんど行かないのでなんだか新鮮だった。頼み方も判らなくて、「じゃあ焼せんまい(胃だか腸?)を」などと頼んでいるGがちょっとオトナに見えたのだった。
ところで日本で焼肉って言うと必ず牛なんだね。鶏肉や豚肉なら焼き鳥とか焼き豚、羊肉だとジンギスカン。牛が別格なのは、農耕に関わってきた家畜だからかな?
まあそれはともかく肉って久々に食うと美味しいね!
ご飯おかわりし放題だったので、調子に乗って二回もお代わりをしてしまった。肉にそなえて朝からパン一枚と飲み物しか摂取していなかったのだが、
G「わたしは、『夜にご馳走を食べるため、朝昼は食べない』としても、一度に食べられる量に変わりはないという持論の持ち主だったが、今日その認識を改めた」
改められた。。
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いただきもの。
mからもらったにゃんこのブックスタンドは、『部屋に積もりに積もった本をいいかげんどーにかせよ』という神の啓示と受け取った。ここ十年ほど、本棚の追加はあれど基本的に同じレイアウトだったわが部屋(魔窟とも言う)であったが、机・本棚・化粧台の大移動をも辞さない大改革を断行しようと策を練っている。
がんばるぞ。
飽きるまでは(え)。
人不同。
*
ところでわたしの本名には花があるので、人というより花にカウントされたいところ。じじつ年々歳々あまり変わっていない(=相似タリ)しね。
此花咲夜のたとえもあり、花はとかく短命の象徴だけど、その実しぶとく根を張って岩をも砕く力を持っているのだから・いのちというのはなかなかに強いものです。
そういうわけで誕生日でした、今年も幸せの一言に尽きる日でした、誕生日が休日、しかも快晴の、っていいね!まあmと一日中お部屋でだらだらしてたんだけど。
年をとるごとに「ああよくがんばって生きたなあ、えらいえらい」って自分を励ましている。
生きていくのだけで本当にせいいっぱいなの、いまだに。
しばらく困り果てて空を見つめているうちに、突然わたしは自分にジェット噴射機能が付いていて、空を飛べるのだということに気づく。
それで、夢中でヘリコプターを追いかけた。しかし飛んでみてわかったが、ジェットというのはなかなかに体力を使ううえ、方向を定めるのがえらく難しいのだ。
結局わたしは、ヘリに『追い付いた』、いやむしろ『突っ込んだ』。
衝撃でバランスを崩したヘリは、緩やかに墜落した。斜めに傾いだ世界はちょうど夜が明けるところで、空は透きとおった燃える薔薇の色をしていた。そのなかを、わたしたちはゆっくりゆっくり墜ちていった。まるで一時間もそうして朝に向かって進んでいくような気がした。
そうしてヘリはそのまま森に落ちた。わたしは壊れたヘリコプターのなかでごろりと横になった。待っていればそのうち助けがやってくるだろう、なにせヘリに追い付くのは一苦労で、わたしはくたくたなのだ……
*
社内に食堂が出来た。
ビュッフェ形式だと言うので喜んでせっせと食べたいものを皿に取り分けた、
松の実入りお粥 飴色の魚の煮付け チキングリル 蒸し野菜 色とりどりの果物 杏仁豆腐……。
ところが、最後にお茶を持って戻ってくると、皿の上は無惨に食い荒らされている。どこの誰かと憤りつつ、もう一度盛り付けても、ちょっと目を離した隙に誰かが食べてしまう。食堂に居て素知らぬ顔をしている他の人々が急に憎らしく思えてきて、わたしは、手にしたタロ芋蒸しパンを怒りを込めてかじる……
と いうところで目が覚めた。悔しさのあまり泣きそうだった。
ので
その日のうちにmとビュッフェに行って鬱憤を晴らした。