ゆめ か うつつ か
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世紀の天文ショーだの46年ぶりだの、あおり文句も華々しく日食の当日を迎えてみれば東京はあいにくの曇天で、都心ではそれでもちらりと欠けた太陽が見えたようだけど、あたしは星座というものは点ではなく線、つまり星座図(絵)がそのまま夜空に浮かんでいるものだと小学校くらいまで信じていたほど天文には疎いので、はなからたいした興味もそそられず日食が終わった。
それでも、まっぴるま、空が急に暗くなるのはちょっと楽しそうだと思った。
*
しし座流星群の大規模なものが来たときは高校生だったが、姉と姉の彼氏と一緒に車で墓地の丘陵をのぼりたくさんの流れ星を見た。夜中には帰宅するはずが姉の彼氏が車のキーを中に入れたままロックしてしまったおかげで一晩中墓地で寒さにぶるぶる震えながら流星を見て(朝になったら父が迎えに来てくれた)、そのまま完徹状態で学校に行こうとして自転車のまま植木に突っ込んだのを覚えている。
ハレー彗星のときは小学生にあがるかあがらないかくらいで、家族そろって裏戸を開けて夜空を見た覚えがある(実際ほうき星を見たかどうかは記憶があいまい)。次に来るのは70年以上先だから、平均寿命で計算すると家族の中で次回ハレー彗星を見ることができるのはわたしだけだということになって(弟とはふたつほどしか離れていないので、平均寿命が女であるわたしよりすくない)、次に見るときひとりはやだなあと思って
泣きそうなくらい寂しかったのを覚えている。
そんなわけでつみぶかい土曜日を送った反動か、日曜日は昏々と眠り続け 午後になってからようやく起きだす始末。
Gと近場の温泉へ繰り出し、ついでに森林浴など。繰り出す場所が若者向きでないのはまあいつものこと。
Gは、二本歯の、真新しい下駄をひっかけていて、そのカラコロという音がまたジーンズとポロシャツという軽装によく似合うのでわたしは悔しくなり、
「へーんだ何さひとりだけ夏しちゃってさ。気をつけなさいよ、そんないい下駄、大切にしないとそのうち化けて出るんだから」
などと負け惜しみを言った。
でもいいなあ、付喪神。
じゃなくて、下駄。
温泉はたいそう混んでいたけれど、森の中にあってせみなどがものがなしげに鳴いており、いい風情だった。風呂上り、わたしはコーヒー牛乳といちご牛乳とで迷った挙句ふたつとも飲み干し、さらにアイスを食べて帰宅した。
アイス。ソーダアイスとレモンシャーベット!ソーダアイスにはなつかしいラムネがいっぱい入っていて、夏らしさ満喫。
残照。夏の夕暮れって、いちばんせつない時間だな。
「プールの後にアイス食べておうちに帰る小学生の気分だね」
まあ、プールの代わりに温泉だし、移動手段は徒歩でなく自動車だけどね。
老いたね。
Gと近場の温泉へ繰り出し、ついでに森林浴など。繰り出す場所が若者向きでないのはまあいつものこと。
Gは、二本歯の、真新しい下駄をひっかけていて、そのカラコロという音がまたジーンズとポロシャツという軽装によく似合うのでわたしは悔しくなり、
「へーんだ何さひとりだけ夏しちゃってさ。気をつけなさいよ、そんないい下駄、大切にしないとそのうち化けて出るんだから」
などと負け惜しみを言った。
でもいいなあ、付喪神。
じゃなくて、下駄。
温泉はたいそう混んでいたけれど、森の中にあってせみなどがものがなしげに鳴いており、いい風情だった。風呂上り、わたしはコーヒー牛乳といちご牛乳とで迷った挙句ふたつとも飲み干し、さらにアイスを食べて帰宅した。
「プールの後にアイス食べておうちに帰る小学生の気分だね」
まあ、プールの代わりに温泉だし、移動手段は徒歩でなく自動車だけどね。
老いたね。
今日わたしは嘘をついた。
嘘をつくのは苦手だし何よりもやりきれない思いがする、なによりわたしを信頼しているひとには。だから限りなく真実を語った、そう、ボルヘスの小説「エンマ・ツンツ」のラストのように。
「この話は実際には信じがたいものだったが、おおむねのところは真実だったから、それはみんなに感銘を与えた。エンマ・ツンツの口調に偽りはなかったし、彼女の廉恥心に偽りはなかった・・・・・・
ただ、その場の状況と、ひとつ二つの固有名詞だけが嘘であった」
まさにわたしの廉恥心に嘘いつわりはない、なにより大切なひとが限りない侮辱を受けているのに、傍観を余儀なくされて声もだせないくるしみよりはマシだ。
だがしかしわたしは嘘をついた。カソリックなら「より大きな罪をまぬがれるための小さな罪」とでも言うのだろうか?真実が歪められるにしても、最小限にとどめたかったのだと・・・・・・ああだけど何を言おうとわたしは自分を卑劣だと思うこころを抑えられない。
いつか、あのひとたちに懺悔できるといい。そのために生きよう。
愛するために生きよう。
決意のために、書いた。
嘘をつくのは苦手だし何よりもやりきれない思いがする、なによりわたしを信頼しているひとには。だから限りなく真実を語った、そう、ボルヘスの小説「エンマ・ツンツ」のラストのように。
「この話は実際には信じがたいものだったが、おおむねのところは真実だったから、それはみんなに感銘を与えた。エンマ・ツンツの口調に偽りはなかったし、彼女の廉恥心に偽りはなかった・・・・・・
ただ、その場の状況と、ひとつ二つの固有名詞だけが嘘であった」
まさにわたしの廉恥心に嘘いつわりはない、なにより大切なひとが限りない侮辱を受けているのに、傍観を余儀なくされて声もだせないくるしみよりはマシだ。
だがしかしわたしは嘘をついた。カソリックなら「より大きな罪をまぬがれるための小さな罪」とでも言うのだろうか?真実が歪められるにしても、最小限にとどめたかったのだと・・・・・・ああだけど何を言おうとわたしは自分を卑劣だと思うこころを抑えられない。
いつか、あのひとたちに懺悔できるといい。そのために生きよう。
愛するために生きよう。
決意のために、書いた。