ゆめ か うつつ か
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今年の初夢はただひたすら本を読んでいるという内容だった。確実に書名を覚えてるのはナボコフの『ロリータ』と『青白い炎』くらいだけど。
それで気付いたらGと約束した映画の待ち合わせ時間を過ぎていて、慌てて電車に飛び乗るけれど反対方面だったりしてなかなか辿り着けない、というところで終わった。
ひどく現実の匂いのする夢だったけど、今思うと奇妙なことに一切の音が無かった。無声映画みたい、色彩ばかりが鮮烈で。
ここんとこ眠っても仕事の夢ばかり見ていて、朝起きてもなんだか眠った気がしないというかむしろこっちが夢だっけ?と呆然とすることが多い。
自分が夢みているのか、自分を夢みる誰かが居るのか、世界が無限に思えるのはこういうときだ。
*
生まれて初めて「お客さん、終点だよ」と電車でゆり起こされた。しかしそれよりも、起きたら「あれ?女の子か」と言われたことの方がショックだ。そんなに豪快な寝方してたかなあたし!
しかしそういえばぼろきれのようなずだ袋に運動靴、男もののグレイのコートがあたしの通常スタイルなので間違われても致し方ないのか。
このスタイルは母に批判され続けているのだがしかし・かわいい靴やらバッグやらは性に合わない、あたしの武器はこの身ひとつ・とかうそぶいてみる。
←センスの無い田舎者の言い訳
それで気付いたらGと約束した映画の待ち合わせ時間を過ぎていて、慌てて電車に飛び乗るけれど反対方面だったりしてなかなか辿り着けない、というところで終わった。
ひどく現実の匂いのする夢だったけど、今思うと奇妙なことに一切の音が無かった。無声映画みたい、色彩ばかりが鮮烈で。
ここんとこ眠っても仕事の夢ばかり見ていて、朝起きてもなんだか眠った気がしないというかむしろこっちが夢だっけ?と呆然とすることが多い。
自分が夢みているのか、自分を夢みる誰かが居るのか、世界が無限に思えるのはこういうときだ。
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生まれて初めて「お客さん、終点だよ」と電車でゆり起こされた。しかしそれよりも、起きたら「あれ?女の子か」と言われたことの方がショックだ。そんなに豪快な寝方してたかなあたし!
しかしそういえばぼろきれのようなずだ袋に運動靴、男もののグレイのコートがあたしの通常スタイルなので間違われても致し方ないのか。
このスタイルは母に批判され続けているのだがしかし・かわいい靴やらバッグやらは性に合わない、あたしの武器はこの身ひとつ・とかうそぶいてみる。
←センスの無い田舎者の言い訳
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●クラシックのみが模倣を許される。
特に音楽の分野で顕著なのだけど、例えばクラシックの演奏家って自分が作曲したものを演奏するより既に在る作品を奏でる方が一般的、例えばバッハとかモーツァルトとか・他人の作品のみ繰り返し演奏して一生を終える人の方が多い、必然的に技術(アルス)が問題になってくる。「巧い」のが前提、「模倣」が基礎。限られた制約の中でどれだけオリジナリティを出せるかが決め手。
文学や絵画でも公然と模倣が許されるのは古典だけだ、それはパロディという形で新しく評価される。逆に言えば模倣されるほどのものは権威ある・力ある作品であるということ。
現今の世界には良い模倣か悪い模倣しか無い気がする。
●空間と時間
独立して存在するa点とb点を繋ぐものは何か?家から仕事場へは二時間経てば辿り着く・が・あたしが動かなければいつまで経ってもその二点はばらばらだ。
aとbの間には無数の点がありそれを繋げ一本の線にするのは人間である、無数の駅を乗り継ぎこの場所に意味を与えるのは常にあたし。連続する空間を繋げるのは人という主体である。
←もっともらしく結論付けたつもりが、ショウペンハウエルが既に「個体化の原理」っつう概念で表していた。ちえっ。(ショウペンハウエルによれば生成は「因果律」によって、認識は「論理の法則」によって、存在は「時間と空間」によって、行為は「動機づけの法則」によって根拠づけることができる・らしい)
時々自分が何故ここに居るのか心底わからなくなることがあるので考えてみたんだけどあたしのお粗末な考えなんてとっくに提出されてるんだな、しかもより精査された形で。
特に音楽の分野で顕著なのだけど、例えばクラシックの演奏家って自分が作曲したものを演奏するより既に在る作品を奏でる方が一般的、例えばバッハとかモーツァルトとか・他人の作品のみ繰り返し演奏して一生を終える人の方が多い、必然的に技術(アルス)が問題になってくる。「巧い」のが前提、「模倣」が基礎。限られた制約の中でどれだけオリジナリティを出せるかが決め手。
文学や絵画でも公然と模倣が許されるのは古典だけだ、それはパロディという形で新しく評価される。逆に言えば模倣されるほどのものは権威ある・力ある作品であるということ。
現今の世界には良い模倣か悪い模倣しか無い気がする。
●空間と時間
独立して存在するa点とb点を繋ぐものは何か?家から仕事場へは二時間経てば辿り着く・が・あたしが動かなければいつまで経ってもその二点はばらばらだ。
aとbの間には無数の点がありそれを繋げ一本の線にするのは人間である、無数の駅を乗り継ぎこの場所に意味を与えるのは常にあたし。連続する空間を繋げるのは人という主体である。
←もっともらしく結論付けたつもりが、ショウペンハウエルが既に「個体化の原理」っつう概念で表していた。ちえっ。(ショウペンハウエルによれば生成は「因果律」によって、認識は「論理の法則」によって、存在は「時間と空間」によって、行為は「動機づけの法則」によって根拠づけることができる・らしい)
時々自分が何故ここに居るのか心底わからなくなることがあるので考えてみたんだけどあたしのお粗末な考えなんてとっくに提出されてるんだな、しかもより精査された形で。