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『完全な真空』 スタニスワフ・レム
存在しない本の書評集。ポストマルケスとはよくいったものだしもとSF作家というのもうなずけた、でもしかし読みづら・・・ごめんあんまり理屈ぽいのはあたしだめなんだ…数学的なのも・
「生の不可能性について/余地の不可能性について」(全二巻 ツエザル・コウスカ著 国立新文学出版所、プラハ)←全部つくりものってのはすご。
面白かった、コウスカ教授の生のためにどれほどの偶然がつみかさなられなければならなかったか。その前提の前提の前提の前提、と話をさかのぼっていくのは物語として成立しうる。物理学的回答を求めるのではなく論理学的回答を求めねばこの話は永遠に終わらない。
「白痴」ドストエフスキー批判、らしい。あたしとしては『罪と罰』をソーニャの視点で書いてくれたものの書評のほうが面白かったような。ソーニャが娼婦であるゆえにあの物語のテーマが変革されてしまうという意味で不可能、というくだり。
・・・しかしまあ、架空の書物の書評の書評ってつくづく空しい行為だな。
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『化蝶記』 皆川博子
短編集、初めて読んだのは「丘の上の宴会」だった、乾いて哀しい雰囲気が気に入った、そのせいか、この人の時代物よりは現代ものの方がわたしはすき。
「月琴抄」は学生が病気の友を見舞う途中に雨に降られて見知らぬ女の家で雨宿りする、女の髪は肩までも無くざんばらで、少女(=実は男)は月琴を弾きながら「月琴を弾くと髪が動く」と語る。幻想怪奇ちっくなラストと仄かな同性愛臭。
「橋姫」 六道さん を叔母に持つ少女と冥婚。因縁的。
「水の女」 少年は隣のお家、夫婦と使用人の女の三角関係を観る。男が死んだ後、残された女二人は井戸にみをなげ心中する。水を汲む女と風呂に入る男女は共に愉しんでいたのだ、汲み上げる水に影を映して自分もその仲間に入っていたのだ―
時代ものなら「がいはち」かな。女が強い。
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「薔薇と巫女」 小川未明
病治し、村周りの巫女書き出しがなんとも秀逸。「家の前に柿の木があって、光沢の無い白い花が咲いた。裏に一本の柘榴の木があって、不安な紅い花を点した。その頃から母が病気であった。」
これだけでぞくぞくする。うまいなあ。
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「驚愕の荒野」 筒井康隆
魔界をループする人々の話。仏教的な観念が強いのかオリジナルなのか…魔界には男と猫しかいない、とか、塩肉の話とか独特の歪んだ世界観が面白い。いきなり332話から始まる、きれぎれの物語、主人公が変化する、語り手の子供たちが物語に参入していくのも個人的には面白かった。それにしてもつついさんは人肉ネタだいすきだな・・・「定年食」とかこれ人によってはグロすぎてよめねえぜ・
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『黒いチューリップ』 A・デュマ
17世紀、オランダの政治的陰謀にまきこまれ投獄っされたチューリップ師の青年コルネリウスと、獄吏の娘ローザとの恋。側芽(球根)を狙う悪者の思惑と何も知らずに罠にかかる主人公ふたりは読んでてはらはらするし、逆転のタイミングも見事。そうかーこのために切り札をここに…と、作者の手順の鮮やかさに感心した。斯様にストーリーはダイナミックかつドラマチックで、恋と冒険、デュマお得意の大衆小説っぷりだけどやっぱりおもしろい。うまい。そしてやっぱり女の子としてはコルネリウスひどいよね、って言いたい。殿方は女より夢をとるものと相場が決まってるとはいえ、チューリップに嫉妬するローザちゃんはあまりにけなげで…
「花師」ってかっこいーし耽美だし、いつか書いてみたい。
そしてデュマに黒人の血がまじってるのだと初めて知った…ばーちゃんが黒人だったらしい。文壇の「黒い悪魔」ってかっこいいな…
ニュースでも見ようかしらとテレビをつけて椅子に座った瞬間になんだかものすごいイヤな予感がして、というのも空気がものすごい威圧感を持って圧し掛かってくる感じ、一瞬で鳥肌がたって・いてもたってもいられずきょろきょろした瞬間に、
どかん!
と 地震がきた。
震度四、揺れ自体は大したこと無かったし余震も無かったけど直前のあのなんともいえない胸騒ぎが尋常じゃない、と思ってたら震源地、うちの家含むこのあたり一帯の真下あたりの地盤だったらしい。
ちょっと不思議な体験だったので、ちょうどメールしてきた友人に伝えたら、大地震の前に頭痛になった話もあるらしく、人間センサーもなかなか馬鹿にはならないらしい。何がおこるかわかんないけどとても不吉な、ここにこうしてはいられないような不安なんだよね。
五分後に帰宅した父に尋ねてみたけど、走ってたので気づかなかったらしい。「動物並みの本能だな」とゆわれた、いや屋内に居たからだよ…多分…。
本能に刻み込まれた原初の恐怖って感じだった。地震こええ。
何せ全面清掃だからいつもは見逃してたCDやらテープやら手紙も清掃の対象で、小学校のときのメモとか不意に出て来ておおわらいしたりする。もう・・・自分バカすぎた・・・。。そうこうしてたら昔の日記とかも出て来て、これも読んでると笑えてしょうがない。留学中、韓国系の美容院で髪の毛に紫入れたとき、ビジュアル系バンドもかくやというほど眩しいほどのシャイニングパープルになってしまってすごい落ち込んだ話とか。。
これねえ、ほんとすごくて、みちゆく人が振り返るほど紫だったの。「家に帰れない・・・」とか弱々しい字で書いてあるの。当時は泣くほど落ち込んだけど、わるいけど、もう、大爆笑。昔の自分に大爆笑。ほかにもシーツ買いに行ってフライパン買って帰った話とか、おもしろすぎるわ。
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カセットテープ、高校時代にえぬえちけいのラジオ中国語講座を毎日テープにとってすりきれるほど聞いたやつが出て来て懐かしかった。内容は今思えば呆れるほど簡単なんだけど、英語なんかよりよほど真剣にやってたなあ。
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・・・そういうわけで遅々としてお掃除が進まないのです。こまった。
山門。初めて行った!
川崎を通りがかる用事があったので、足を延ばして寄ってきちゃった。半七捕物帖でね、半七が信心参りしてたのを思い出したの。そうそう行く機会ないと思って。でも体調も天候もコンディション低めなのに無理したらあんまり楽しめなかった…失敗。あたし普段インドアなだけに反動がすごくて、知らない土地は思い切り楽しんでしまうタイプ(要するにお子様)なんだけど今回は、ちとダウン気味だった…道連れが居たら盛り上がれるんだけどね、平日の昼間だからそもそも人が居なくて、賛同もがらんとしてたな。それはあたし好みだったけど。
とにかく立派なお寺でびっくり。いたるところに賽銭箱はあるしね、とりあえずお参りして、あとお守りはかわゆいのがなかったので弘法様のお札をば…。
普段から出店も出てるみたい、境内も広くて、活気あるときに来たかったなー。
山門脇で「久寿餅」買って帰った。小麦でんぷんでできてて、きなこと黒蜜かけて食べるの。結構重くて、買ったのを後悔もしたけど食べてみたらものすごく美味しくて、家族にも大好評!
あと川崎って確か男根崇拝の神社があったはずなんだけど名前を忘れたのでそれは次回に譲る。祭りの名前は覚えてるんだけどね、「かなまら祭」。すごいよね。いちど行ってみたいんだけどね、「すいません、男根崇拝の神社はどこですか」とか地元の人に訊けなかった。
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えっと 最近旅と夢と本の項(実は地道に書き足してる)しか書いてないけど、あたしの日常はつまりこれらの要素で殆んど全てを語れるってわけですね。…問題だ!
西叶神社。
裏手の山は勝海舟が断食した場として有名らしい。神社の方に「景色がいいわよ~登ってごらんなさい」と勧められたのでGとふたりでがんばって階段を駆け上った。見晴らし最高!
この時点で疲労の余り足がもつれていたのだが・
じゃーん!浦賀の渡し舟!
一回150円で、朱色の屋根のお船が対岸へ渡してくれるの。実際対岸は2・3百メートルほどしか離れてなくて、もし歩いて回れって言われたらあたし泳いでた。
東叶神社。
叶神社は東と西、両岸にある対の神社なのだった。
上のお守り袋は西叶、下の勾玉は東叶でそれぞれ買って、ひとつのお守りになるんだって。袋は白色、石は瑪瑙もあり。かわゆいのでつい・・・お守りマニアとして入手せずにいられなかった…
とにかく暑かった。そしてよく歩いた。