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ゆめ か うつつ か
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●無錫郊外の小店の棚にひっそりと幾つかのはまぐりが並べられていた。尋ねると、乾燥防止用のオイルだという。気紛れにひとつ買い求めた。はまぐりの片貝に、薄荷の香がする軟膏が詰められている。体温で融けるくらいのテクスチャー。

●根付け×2
小豆お粥根付けは、普通に美味しそうだったから。
樌欖(チャイニーズオリーブ)に彫刻を施した根付けは、周荘付近で半額以下、25元まで値切って時間切れ。まるまると太った足の甲に蜘蛛が這う、キモチワルサが気に入った。


 
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大気汚染 → 人的被害 → 観光産業停止

  ↓

・土壌汚染 → 農業・酪農関連事業停止
・海水汚染 → 漁業関連事業停止

  ↓

外食・加工食品産業停止

  ・
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  ・

関東以北の経済悪化





反論をば。

まず、放射能汚染を待つまでも無く、近来飛躍的に進んだ地球規模の大気汚染・土壌汚染・人工調味料による化学汚染の結果、現代日本人は未曾有の有害物質を体内に取り込んでいる。いまさら放射能が加わったとて寿命への影響は大差ないだろう。祖父母・親の世代に比べわたしたちの食糧事情はあまりにも近代化・合理化を遂げてしまった、廃棄肉から作られたハンバーグ、サラダ油で出来たコーヒーフレッシュ、蟲で色付けされたジュース…。こういった世界になってまだ一世紀も経ってない。わたしたちはその間に化学物質への適応力をつけたかもしれないし、あるいは適応できないまま毒を受けて死んでいるかもしれない。そこんとこの正否すらよくわかっていないのに放射能の被害を云々するのは、早急にすぎるような気がする。

とどのつまりここで生きていくしかないのだし。

まずは自分の位置を正しく知ることだ。ひとは生きているのではない。生かされている、もろもろの偶然によって。だからこそ生命は尊いのだと。













 

月があまりにも大きく明るく、見事すぎて不吉なほどだと思っていたら、どうやら十数年ぶりの月・地球最接近で、スーパームーンと呼ぶ現象らしい。何か強そう。

節電で街が全体的に暗いので、更にくっきりあかあかと輝いて見える。今にも落ちてきそうな気すら。

3月初旬には固く閉じていた蕾がほころび、可憐な花を点じていた。あの痩せ枝がよくも、と感慨にふける。

春は必ず来るものだ。


ガソリンスタンド前に、数百メートルの行列。さしずめ給油渋滞とでもいおうか。なるほど食糧の次は燃料か、と納得する。目下買い漁りを非難する向きが強いがしかしまあそれが人情だろう、むしろいたって健全、非常時に君子でいられる方がおかしい。そもそもこういう図々しい輩はなまなかな物資不足ではくたばるまい。
日本人の暮らしも分業化が進んで複雑になり、昔に比べて生活必需品もとみに増えた。物持ち=贅沢がありふれた結果、いざ供給が乏しくなると「奪われた感」が強くなる。太平洋戦争で家財を全て喪い命ひとつで帰った祖母は、今度の震災にも泰然としていた。持っているものなどいつでも消えうる、まして自分など。





かつて北京で全身焼けただれた子どもにすがられたとき、そしてシルクロードで「日本に連れて行ってくれ、何でもする」と思い詰めた瞳で言われたとき、わたしは何もできず逃げだした。

そこにある悲惨を見ても反語的釈明、「わたしに何ができる?」(いや、何もできない)。或いは最も厄介な哀れみというやつ。それは自慰だ、「自分でなくてよかった」。

今、東北の災害を見て同じような無力感に襲われている。世界は相変わらず違うコードに区切られ関わることまして救うことなどできない。世界のこちらがわでわたしは何事もなかったかのように日々働き過ごす、自分が狂っているような気がする、あの北京からずっと。

ゆえにわたしは、いつか誰かに見捨てられ「気の毒に」と哀れみを受け打ち捨てられ死んでもわたしは何も誰も怨まず怒らずにいたい、自分の世界をゆるしたい、そう思う。


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