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最後に他人とつかみあいのケンカをしたのは実はハタチくらいで、もういいオトナだった、と言いたいけれどもそうでもなかった。それから十年くらい経ったいまでもあまりオトナになっているとは思えない。もっと言えば小学校くらいから感覚が止まったまんまのような気がしている、そのころから死にたかったしそのころから世界に違和感を感じていた。
ケンカ相手はルームメイトの同い年の韓国人で、韓国のひとは情熱的だということを割り引いても、かなりエキセントリックな子だったと思う。わたしは彼女に何発か殴られ、突き飛ばし合い、レスリングさながらのキャットファイトもした。原因はすべてささいな生活習慣の違い(異文化の差異)で、そういうすべてに嫌気がさしたわたしが引っ越す(=逃げる)ことで事態は未解決という解決をみた。
それでも彼女はわたしを心底嫌ってはいなかったと思うし、わたしも彼女を好きだった。
それでも確かなのは、わたしは逃げたということだ。
彼女がとことん、殴り合ってまでわたしに向き合おうとしていたのに、わたしは逃げた。
そのときわたしはこの先一生自分が他人に向き合えるときなんて来ないのではないかと思ったが、しかし、生きてみると、実はそういう挫折や失望は頻繁に起こりうるのだということがよくわかった。韓国そして韓国語を学んだのはそういう事情が主だ。
「韓国人は全員、心の奥底で日本人を憎悪している!」 と叫ばれた、その意味を知りたかった。
ウォン安でK-POPブームだけど、明洞や南大門市場は行っても、西大門刑務所で日本人から凄まじい拷問にあっている韓国人の人形を観光しに行く日本人は居ない。
それはよろこぶべきことか、忌むべきことか。
美味しい本が好きだ。
と、いうのは、料理・お菓子に関する本ということだけど。
それも、いわゆるレシピ本ではなくて、食文化の研究書、もしくは随筆家のエッセイなどが望ましい。知識欲と食欲が同時に満たせ(るような気がして)とてもいいんだな。
どうもわたしは昔から食べ物の描写に弱い。食べ物って、実際の美味しさではなくて、イメージ……思い出でも思い入れでも、そういう情緒的な部分が大きいよね。
幼稚園のころは『傘地蔵』の絵本にあった、「顔がうつるほど薄いおかゆ」に憧れた。母に「おかゆがたべたい」と頼んで作ってもらったら、ふっくらしたお米がぎっしり入ったおかゆだったので、がっかりして「もっとお米がないやつ」とわざわざ作り直してもらった重湯を満足してすすった覚えがある。母は、「変な子」と首を傾げていたが。
高校のころは、魯迅の『駱駝祥子』。主人公の車夫が、金がないので屋台で豆腐を一丁ゆでてもらって、それに醤油ときざんだ葱をかけた湯豆腐を食べるシーンがなんとも美味しそうでうらやましくて、自分で豆腐をゆでて醤油とレモンをかけて食べていた。たいしてうまくもなかったが、胃とともに精神が満たされるような気がしたな。
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日本史における食事の研究本。納豆の由来とかね、薀蓄系なのに軽い味わい。
『山のごちそう』 渡辺隆次
著者が画家で、挿絵も文章も美しくて凝っている。季節の山菜や果物について。このひとの、『きのこの絵本』もおすすめ。
『酒の肴・抱樽酒話』 青木正児
なんといっても冒頭の「適口」に尽きる。ようは「食べ物を美味しいと感じるタイミング」の話だが、高校のころに初めて読んで、いまだこの話に勝る食のエッセイを読んでいない。『華国風味』の、「陶然亭~」も名文だけど、こっちのほうが個人的に好み。
『象牙の箸』 丘永漢
中華料理についてのエッセイ集。クレソンの話が好き。
『食卓歓談集』 プルタスコス
1世紀ころの宴会の話題を集めたもの。「秋になると空腹になるのはなぜか」とか、今も変わんないじゃん! 古代ローマに親しみがわく。当時の世界観、四大元素をもとに話が展開されていくのが面白い。
『食卓の文化史』 石毛直道
料理のなりたち、煮る焼く蒸す、料理道具などから解説する食文化論。栄養学的には油のほうがカロリーが高いので、肉食の人間のほうが穀物食の人間よりも食事が効率的なんだって! だから穀物で栄養を摂るひとはより多くを食べねばならず、胃腸に負担をかけるので、日本人は胃腸が弱い、と。目からうろこ。
『香辛料の民族学』 吉田よし子
ひとくちに香辛料といっても、匂いつけ、色つけ、味付け、さまざまに大活躍。日本ではあまりなじみのないものもあり、興味深い。ナズナはマスタードの仲間だとか、「カレーの木」の話とか。
――共に来て泣け。祈りを棄ててなお神を忘るることなかれ――
その言葉に惹かれ、信徒でもないのに、わたしは男について教会の中へ向かう。
教会に一歩足を踏み入れた途端、立ち込める腐臭にわたしは慄然と悟った。いけない、ここは化け物の巣だ。しかしわたしが悟ったことを奴らも悟り、わたしはたちまち死者の群れに囲まれてしまう。
洗礼盤をひととびに越え、聖像によじ登り、ステンドグラスの窓をぱりんと破る。色とりどりのガラスの破片をまといわたしは地面に落ち、地面は柔らかくのめるようにわたしを包んだ。
橋を渡り屋根を伝いわたしは死者から逃げる、生命に満ちた安全な子供部屋へ。