ゆめ か うつつ か
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草地にひっそりとうずもれた比較的新しい給湯器やら、フェンスにひっかけられた真珠の数珠(一見パールネックレスのようだがどうみても数珠)やら、最近は帰宅途中におかしなものばかり見ている。
と
いうような話をしたら、mが旅先の駐車場で見かけた面白い看板の話をしてくれた。
「停車中は、ニンジンを切ってください」。
・・・・・・アイドリングストップをうながすつもりが、さながらお料理教室開催中、みたいな看板に!
*
花火。このまえ山に行ったとき、線香花火と一緒にばら売りされてたやつ。相当数買ったような気がしてたけど、夢中になって遊んでたらあっというまに終わってしまった。夏の花火、冬の焚き火・・・・・・火ってやっぱり見入ってしまうなあ。
昔、旅先で一緒に花火をしたロシア人のおじさんが、落ちかけた線香花火の火の球をとっさに手で掴んで、盛大に火傷していた。線香花火をするといつも、そのおじさんのことを思い出す。わが身の危険も省みず線香花火のうつくしさを守ろうとした、コドモのように無謀で純粋な、こころのやさしいおじさんだった。
と
いうような話をしたら、mが旅先の駐車場で見かけた面白い看板の話をしてくれた。
「停車中は、ニンジンを切ってください」。
・・・・・・アイドリングストップをうながすつもりが、さながらお料理教室開催中、みたいな看板に!
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昔、旅先で一緒に花火をしたロシア人のおじさんが、落ちかけた線香花火の火の球をとっさに手で掴んで、盛大に火傷していた。線香花火をするといつも、そのおじさんのことを思い出す。わが身の危険も省みず線香花火のうつくしさを守ろうとした、コドモのように無謀で純粋な、こころのやさしいおじさんだった。
帰宅途中、例のごとく中央線が止まってしまい、いらだたしい気持ちで乗り換えの電車を待っていると、やってきたのが懐かしい「オレンジ電車」だった。
201系。まだ運行してたんだ!
2~3年くらい前より中央線からオレンジ色の箱型電車が消えて、代わりに銀色の軽快な車両が、まるで鱗をひるがえしておよぐハヤみたく、いちもくさんに都心目指してかっとんでいくようになった。それからほとんど見かけてないので、てっきりもう廃止になったとばかり思っていた。
電車に乗るって「おとな」だなあとちいさいころは思っていて、だから初めて乗った電車、ずっと乗っていた電車にまた再会できたのがちょっと嬉しかった。たとえ乗車率120パーセントでも。。
*
親父のちいさいころは、中央線は「チョコレート色」だったらしい。今でこそルミネやそごうや高島屋ほか、大きなビルがばんばん立ち並び、いっぱしの商業都市でございという雰囲気の立川も、そのころは駅前に一軒大きな魚屋があるきりだったという。親父は祖母に連れられて、立川にラーメンを食べに来るのが楽しみだった、と、目を細めて話していた。
たぶん こないだ生まれたばかりのAちゃんたちにとっては、中央線は「銀色」なのだろう。
2~3年くらい前より中央線からオレンジ色の箱型電車が消えて、代わりに銀色の軽快な車両が、まるで鱗をひるがえしておよぐハヤみたく、いちもくさんに都心目指してかっとんでいくようになった。それからほとんど見かけてないので、てっきりもう廃止になったとばかり思っていた。
電車に乗るって「おとな」だなあとちいさいころは思っていて、だから初めて乗った電車、ずっと乗っていた電車にまた再会できたのがちょっと嬉しかった。たとえ乗車率120パーセントでも。。
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親父のちいさいころは、中央線は「チョコレート色」だったらしい。今でこそルミネやそごうや高島屋ほか、大きなビルがばんばん立ち並び、いっぱしの商業都市でございという雰囲気の立川も、そのころは駅前に一軒大きな魚屋があるきりだったという。親父は祖母に連れられて、立川にラーメンを食べに来るのが楽しみだった、と、目を細めて話していた。
たぶん こないだ生まれたばかりのAちゃんたちにとっては、中央線は「銀色」なのだろう。