ゆめ か うつつ か
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帰宅途中、例のごとく中央線が止まってしまい、いらだたしい気持ちで乗り換えの電車を待っていると、やってきたのが懐かしい「オレンジ電車」だった。
201系。まだ運行してたんだ!
2~3年くらい前より中央線からオレンジ色の箱型電車が消えて、代わりに銀色の軽快な車両が、まるで鱗をひるがえしておよぐハヤみたく、いちもくさんに都心目指してかっとんでいくようになった。それからほとんど見かけてないので、てっきりもう廃止になったとばかり思っていた。
電車に乗るって「おとな」だなあとちいさいころは思っていて、だから初めて乗った電車、ずっと乗っていた電車にまた再会できたのがちょっと嬉しかった。たとえ乗車率120パーセントでも。。
*
親父のちいさいころは、中央線は「チョコレート色」だったらしい。今でこそルミネやそごうや高島屋ほか、大きなビルがばんばん立ち並び、いっぱしの商業都市でございという雰囲気の立川も、そのころは駅前に一軒大きな魚屋があるきりだったという。親父は祖母に連れられて、立川にラーメンを食べに来るのが楽しみだった、と、目を細めて話していた。
たぶん こないだ生まれたばかりのAちゃんたちにとっては、中央線は「銀色」なのだろう。
2~3年くらい前より中央線からオレンジ色の箱型電車が消えて、代わりに銀色の軽快な車両が、まるで鱗をひるがえしておよぐハヤみたく、いちもくさんに都心目指してかっとんでいくようになった。それからほとんど見かけてないので、てっきりもう廃止になったとばかり思っていた。
電車に乗るって「おとな」だなあとちいさいころは思っていて、だから初めて乗った電車、ずっと乗っていた電車にまた再会できたのがちょっと嬉しかった。たとえ乗車率120パーセントでも。。
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親父のちいさいころは、中央線は「チョコレート色」だったらしい。今でこそルミネやそごうや高島屋ほか、大きなビルがばんばん立ち並び、いっぱしの商業都市でございという雰囲気の立川も、そのころは駅前に一軒大きな魚屋があるきりだったという。親父は祖母に連れられて、立川にラーメンを食べに来るのが楽しみだった、と、目を細めて話していた。
たぶん こないだ生まれたばかりのAちゃんたちにとっては、中央線は「銀色」なのだろう。
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