ゆめ か うつつ か
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突然弟が鳥を大量に飼いはじめ、家にはケージがたくさん並ぶ。
目の覚めるように青い凶暴なチャボがわたしを目の敵にしてつつきまわしてくる。また、白いあひるが二羽、猫のようにわたしにすりよってくる。わたしは当惑するばかりだ。
*
Gが何やら和綴じの本を抱えている。本の表紙には、流れるようなかなもじで「きやうしやうざうし」と書いてある。
平安末期、下級貴族の女(むすめ)くにこが罪を得て東国に下る途中、大病を患う。薬代わりに竹皮に包んだやまくじらの肉を抱え、こしかたの華々しい日々を憶い、浅ましき今のわが身を嘆きつつ、己の罪の一切である恋愛遍歴を記しておこうと決意する……
と、いう内容であるらしい。わたしはうなずき本をめくるが、何故か一ページも読むことができない。
*
今日は、織田ノブナガにホられそうになる夢で飛び起きた。あまりに恐ろしかったのでmに報告したら、「ノブナリじゃなくて良かったね(^o^)」と言われた。
………………何か、すごく、納得した。
目の覚めるように青い凶暴なチャボがわたしを目の敵にしてつつきまわしてくる。また、白いあひるが二羽、猫のようにわたしにすりよってくる。わたしは当惑するばかりだ。
*
Gが何やら和綴じの本を抱えている。本の表紙には、流れるようなかなもじで「きやうしやうざうし」と書いてある。
平安末期、下級貴族の女(むすめ)くにこが罪を得て東国に下る途中、大病を患う。薬代わりに竹皮に包んだやまくじらの肉を抱え、こしかたの華々しい日々を憶い、浅ましき今のわが身を嘆きつつ、己の罪の一切である恋愛遍歴を記しておこうと決意する……
と、いう内容であるらしい。わたしはうなずき本をめくるが、何故か一ページも読むことができない。
*
今日は、織田ノブナガにホられそうになる夢で飛び起きた。あまりに恐ろしかったのでmに報告したら、「ノブナリじゃなくて良かったね(^o^)」と言われた。
………………何か、すごく、納得した。
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~つづき~
Sペンションでわたしたちを待っていた惨劇、それは カメムシ地獄!
やっつけてもやっつけても、泉のごとく湧きいずるカメムシ(きもい)に、さしものmも大パニック。「おかしい・・・この部屋は完全な密室のはずだ!」などと探偵小説ばりのせりふをはきつつ、まんじりともしない一夜を過ごした。かけ流しの貸切温泉に飛びついてしまい、〔春先の山中=虫御殿〕という可能性は考えもしなかった。次の日のことを考えたら、おとなしくシティホテルに宿泊すべきだったといたく反省。
だがしかし朝は来る。
私は生理二日目というコンディションながら、ほぼ徹夜明けのmよりはよろしかろうと運転を引き受け、さっそく湯殿山へ。
湯殿山というのは出羽三山のひとつで、前日おまいりした即身仏にゆかりの深いお山。お湯の湧き出る大岩を裸足でおまいりするのだが、古来「語るなかれ 聞くなかれ」と伝えられる聖地で、これ以上詳述するのは気がひけるので、とりあえず写真をば。豪雪がいかにも深山といったおもむき。
とりあえず、非常に和める神社だったのは間違いない。数々の神社を参拝してきたと自負するわたしだが、この神社は他には無い参拝方法で、面白かった。神社仏閣にはさほど興味の無いmも「面白い」と言うほどだ。非常に行きにくいのが難点だが、もし機会があったらもう一度行きたいと思う。そのくらい、よい。
次いで、修験の山、羽黒山へ。
かつてわたしが「二泊三日で山伏修行に行きたい」と言っていた山、それが羽黒山。
わたし「羽黒山では大量の山伏が木から木へ飛び移りつつ法螺貝でセッション イェィ!」
m「わけがわからない!!」
いやあ、そこはそれ わたし、ヤマブシストですから。
で 実際、
詰所 閉まってる・・・・・・・。
わたし「あのナカにはきっと山伏がたくさん詰まってるはず!だって詰所だから!」
m「きもいよ!」
本殿と、本殿にあった山伏の像。
ホンモノの山伏には・・・・・・
会えなかった・・・・・・・・・・・。
悔しかったから法螺貝のおちょこを購入。ちきしょおおおおお!
うんいいんだ GWだもんね 山伏もオヤスミしてたんだよね わかってる・・・わかってる!!(号泣)
さすがに山頂だけあって、晴天の天気予報にもかかわらず雨が降ってきたので、土産屋を適当にみつくろい、椎茸茶(すまし汁のような味わい)で温まりつつ下山(二時半)。この後いかにして上州へ下るかを話し合い、とりあえず米沢ラーメンでも食おうよ と、下道をひたすら南下。
途中、燃料切れの恐怖におびえ 悪路による規制区間に悩まされつつも、無事米沢に到着。
米沢ラーメンは、ちぢみ細麺に魚介ダシがきいている という評判らしいが、空腹の極限まで来ていたわたしには味はよくわからなかった。。 アツイ ウマイ とかそれくらい。。おいしいとこはおいしいんだろけどね。とおりすがりの上杉神社で、なんとなく戦国好きのBさんを思い出す。Bさん元気かな。。
で 米沢から会津若松までひたすらとばし、そこから群馬へくだる。
さすがにこの辺りからはmが運転してくれてたのだが、もう二人ともナチュラルハイ状態。目に映る全ての事象にツッコミを入れずにはいられなかった。
わたし「『きどらないおもてなしの心 それがキタカタの心』だって! どういうんだろね!」
m「『おう よく来たな! ま 寄ってけ!』 で プゥーって放屁!」
・・・・・・・・・・・・・・・・きどらなすぎる。 ひどすぎる。。
そんなかんじで
新潟のPAのファミマで魔がさしてジョジョくじをひいてしまい、D賞のムーディーブルース・クロックが当たってしまい、記念写真。。
群馬にたどり着いたのは、零時ちょうどくらいだったな。疲労困憊だったけど、こういう無理は嫌いじゃない。
m、ありがとね。
Sペンションでわたしたちを待っていた惨劇、それは カメムシ地獄!
やっつけてもやっつけても、泉のごとく湧きいずるカメムシ(きもい)に、さしものmも大パニック。「おかしい・・・この部屋は完全な密室のはずだ!」などと探偵小説ばりのせりふをはきつつ、まんじりともしない一夜を過ごした。かけ流しの貸切温泉に飛びついてしまい、〔春先の山中=虫御殿〕という可能性は考えもしなかった。次の日のことを考えたら、おとなしくシティホテルに宿泊すべきだったといたく反省。
だがしかし朝は来る。
私は生理二日目というコンディションながら、ほぼ徹夜明けのmよりはよろしかろうと運転を引き受け、さっそく湯殿山へ。
湯殿山というのは出羽三山のひとつで、前日おまいりした即身仏にゆかりの深いお山。お湯の湧き出る大岩を裸足でおまいりするのだが、古来「語るなかれ 聞くなかれ」と伝えられる聖地で、これ以上詳述するのは気がひけるので、とりあえず写真をば。豪雪がいかにも深山といったおもむき。
とりあえず、非常に和める神社だったのは間違いない。数々の神社を参拝してきたと自負するわたしだが、この神社は他には無い参拝方法で、面白かった。神社仏閣にはさほど興味の無いmも「面白い」と言うほどだ。非常に行きにくいのが難点だが、もし機会があったらもう一度行きたいと思う。そのくらい、よい。
次いで、修験の山、羽黒山へ。
わたし「羽黒山では大量の山伏が木から木へ飛び移りつつ法螺貝でセッション イェィ!」
m「わけがわからない!!」
いやあ、そこはそれ わたし、ヤマブシストですから。
で 実際、
わたし「あのナカにはきっと山伏がたくさん詰まってるはず!だって詰所だから!」
m「きもいよ!」
ホンモノの山伏には・・・・・・
会えなかった・・・・・・・・・・・。
うんいいんだ GWだもんね 山伏もオヤスミしてたんだよね わかってる・・・わかってる!!(号泣)
さすがに山頂だけあって、晴天の天気予報にもかかわらず雨が降ってきたので、土産屋を適当にみつくろい、椎茸茶(すまし汁のような味わい)で温まりつつ下山(二時半)。この後いかにして上州へ下るかを話し合い、とりあえず米沢ラーメンでも食おうよ と、下道をひたすら南下。
途中、燃料切れの恐怖におびえ 悪路による規制区間に悩まされつつも、無事米沢に到着。
米沢ラーメンは、ちぢみ細麺に魚介ダシがきいている という評判らしいが、空腹の極限まで来ていたわたしには味はよくわからなかった。。 アツイ ウマイ とかそれくらい。。おいしいとこはおいしいんだろけどね。とおりすがりの上杉神社で、なんとなく戦国好きのBさんを思い出す。Bさん元気かな。。
で 米沢から会津若松までひたすらとばし、そこから群馬へくだる。
さすがにこの辺りからはmが運転してくれてたのだが、もう二人ともナチュラルハイ状態。目に映る全ての事象にツッコミを入れずにはいられなかった。
わたし「『きどらないおもてなしの心 それがキタカタの心』だって! どういうんだろね!」
m「『おう よく来たな! ま 寄ってけ!』 で プゥーって放屁!」
・・・・・・・・・・・・・・・・きどらなすぎる。 ひどすぎる。。
そんなかんじで
群馬にたどり着いたのは、零時ちょうどくらいだったな。疲労困憊だったけど、こういう無理は嫌いじゃない。
m、ありがとね。
山小屋を後にし、一路東北、山形を目指す。以前Gと東北旅行した際、日程と東北道の立地という要因から、山形だけは足を着けることもできずに帰京したので、今回はリベンジも兼ねて。
上信越自動車道にて。
GWに入って天気も回復し、気持ちのよい旅路となったけど、上越のあたりではやくも事故渋滞に見舞われる。このあたりは山が本当にきれいで、助手席に座ってるぶんには眼福だったけど、運転担当だったmは相当疲労していたと思われる。米山PAで運転を代わり、ひたすら日本海東北自動車道、そして海沿いに新潟を北上。
海!
それまで山の風景に慣れ親しんでいたので、海が見えたときはやっぱ感動したね。
以前、鈍行で大阪から東京まで帰ったとき、「コレ静岡だけで復路の80パーセントくらいなくね?」的な、圧倒的な静岡の横長さに戦慄したものだったが 今回車で長野から山形へ行くにあたっては「コレ新潟だけで往路の90パーセントくらいなくね?」的な新潟の縦長さにうちのめされた。とにかくなげえ、新潟。どこまでいっても新潟。新潟がおわらない・・・・・
そういうわけで、山形はひどくミニマムに感じられ、車の少なさもあいまって移動がスムーズだったように思われる。4時には鶴岡に着いたので、とりあえず前々から行きたかったとあるお寺へ向かうことに。
これがそのお寺、大日坊。
・・・そしてこれがわたしがかねてからひとめ拝観したいと熱望していた、
即身仏!!(パンフレットより)
『あずさ弓』を読んで以来、あこがれていたの。ちなみに今回この本は旅のお供に持参してきたよ!
さてまずはお払いを受け、それからありがたい即身仏を拝観し説法を受けるという段取り。わたしたちは都合上お払いがあとになってしまったが、このお寺、見所が非常にたくさんあるうえ、お寺の縁起、即身仏の由来なども懇切丁寧にお坊さんが説明してくれて、とてもよかった。
「即身仏というとミイラと勘違いされてらっしゃいますが、ミイラとは違うんですよ」
ミイラは内臓などすべて取り去った加工をほどこされたもの、即身仏は自力でなるもの。そこに違いがある。即身仏はけして自分のためではなく、衆生救済のために願をかけてなるもので、そこが尊いのである、と。
なるほどね!
~即身仏のつくりかた~
1:長期にわたり(数年~数十年)五穀を断ち、木喰(木の実やきのこだけを食べる)する
2:内臓の菌を殺すために漆を飲む
3:湿気よけに木炭をしきつめた地中の小部屋に入り、無言の行あるいは読経
(このとき、地上から弟子や仲間の励ましには鈴の音でこたえる)
4:音がきこえなくなったら「入定」(あくまでも死ではない)、その後1000日かげぼししてできあがり
このお寺の即身仏である真如海上人は御年96歳で入定されたそうで、高齢はたまた高徳のおかげか、現在確認されている即身仏18体の中ではもっとも完璧なかたちで残っておられるそう。
確かに、ガラスケースの中でちんまりと座している上人は手の指の一本一本まできれいに残っている。
きれいなころもをきせられて、300年もずっと座っているんだなあ、たまの衣替えを別として。「死」ぬこともできずに。それはすごい修行だな、とあらためておもった。すさまじい。
でもちょっと 形骸的だな とも、思う。
このお寺がかつて、権力・金の集中する場であったことはたしかで、それは寺のものであるという、たくさんの宝物を観ればわかる。即身仏も宝物として扱われているように思えて、だから、やっぱりちょっと、ぬけがらちっく。尊くありがたいのは上人の志で、即身仏となった身体ではないじゃない?
ひとはいかにして救われるか などとつらつら、かんがえた。
かつて空海さんを救ったとされる不動明王のお守り符をいただいて、お寺を後にした。『あずさ弓』に載っていたものとはちょっと絵柄が違うけど、剣を飲み込んだ龍。
*
庄内の夕暮れ。
釜焼きピッツァのお店でゆうごはん。ここのピッツァはほんとにうまかった!
疲れきったわれわれは、そのまま予約していたSペンションへと向かったが、それは恐怖の一夜の幕開けだった・・・・!
~つづく~
GWに入って天気も回復し、気持ちのよい旅路となったけど、上越のあたりではやくも事故渋滞に見舞われる。このあたりは山が本当にきれいで、助手席に座ってるぶんには眼福だったけど、運転担当だったmは相当疲労していたと思われる。米山PAで運転を代わり、ひたすら日本海東北自動車道、そして海沿いに新潟を北上。
それまで山の風景に慣れ親しんでいたので、海が見えたときはやっぱ感動したね。
以前、鈍行で大阪から東京まで帰ったとき、「コレ静岡だけで復路の80パーセントくらいなくね?」的な、圧倒的な静岡の横長さに戦慄したものだったが 今回車で長野から山形へ行くにあたっては「コレ新潟だけで往路の90パーセントくらいなくね?」的な新潟の縦長さにうちのめされた。とにかくなげえ、新潟。どこまでいっても新潟。新潟がおわらない・・・・・
そういうわけで、山形はひどくミニマムに感じられ、車の少なさもあいまって移動がスムーズだったように思われる。4時には鶴岡に着いたので、とりあえず前々から行きたかったとあるお寺へ向かうことに。
・・・そしてこれがわたしがかねてからひとめ拝観したいと熱望していた、
『あずさ弓』を読んで以来、あこがれていたの。ちなみに今回この本は旅のお供に持参してきたよ!
さてまずはお払いを受け、それからありがたい即身仏を拝観し説法を受けるという段取り。わたしたちは都合上お払いがあとになってしまったが、このお寺、見所が非常にたくさんあるうえ、お寺の縁起、即身仏の由来なども懇切丁寧にお坊さんが説明してくれて、とてもよかった。
「即身仏というとミイラと勘違いされてらっしゃいますが、ミイラとは違うんですよ」
ミイラは内臓などすべて取り去った加工をほどこされたもの、即身仏は自力でなるもの。そこに違いがある。即身仏はけして自分のためではなく、衆生救済のために願をかけてなるもので、そこが尊いのである、と。
なるほどね!
~即身仏のつくりかた~
1:長期にわたり(数年~数十年)五穀を断ち、木喰(木の実やきのこだけを食べる)する
2:内臓の菌を殺すために漆を飲む
3:湿気よけに木炭をしきつめた地中の小部屋に入り、無言の行あるいは読経
(このとき、地上から弟子や仲間の励ましには鈴の音でこたえる)
4:音がきこえなくなったら「入定」(あくまでも死ではない)、その後1000日かげぼししてできあがり
このお寺の即身仏である真如海上人は御年96歳で入定されたそうで、高齢はたまた高徳のおかげか、現在確認されている即身仏18体の中ではもっとも完璧なかたちで残っておられるそう。
確かに、ガラスケースの中でちんまりと座している上人は手の指の一本一本まできれいに残っている。
きれいなころもをきせられて、300年もずっと座っているんだなあ、たまの衣替えを別として。「死」ぬこともできずに。それはすごい修行だな、とあらためておもった。すさまじい。
でもちょっと 形骸的だな とも、思う。
このお寺がかつて、権力・金の集中する場であったことはたしかで、それは寺のものであるという、たくさんの宝物を観ればわかる。即身仏も宝物として扱われているように思えて、だから、やっぱりちょっと、ぬけがらちっく。尊くありがたいのは上人の志で、即身仏となった身体ではないじゃない?
ひとはいかにして救われるか などとつらつら、かんがえた。
*
疲れきったわれわれは、そのまま予約していたSペンションへと向かったが、それは恐怖の一夜の幕開けだった・・・・!
~つづく~
まきびしやめくらましの忍術の小道具や、実際に術を使っている様子の写真など、いろいろな資料もあって興味深かった。でも変装術がただの変顔だったり、水遁の術がただの水泳だったり、あまつさえ戸隠流の現当主は戸隠でなく千葉県民であるという事実が明らかになったり、忍術に幻想を抱いている人間は、夢が盛大に打ち壊される恐れあり。。
まあそれをさしひいても、からくり屋敷は楽しかった!イチオシ!からくり扉や斜めの間、掛け軸をめくればそこに出入り口……など、外国人なら「ニンジャー!」とはしゃいでくれることまちがいなし。
手裏剣投げのアトラクションもあって、5つ以上当てたひとには記念の団扇がもらえるそうで、わたしもmも無事ゲット!特にmはほぼパーフェクトな投げっぷりだった。足音させずに歩くし気配薄いし、忍者の素質ばっちりだな!
*
ひとしきり忍者を堪能した後は、わたしが個人的に前々から訪れたかった戸隠神社へ。戸隠には神社がいくつかあるけど、奥社はいちばん訪れにくそうなので、この機会に行っておきたかったのだが・・・・・・・
m「十センチでいいから空中浮遊したい」
同感だけど、でも空中浮遊できるくらいならもういっきに山頂まで飛んでしまいたい・・・・・・。
おまいりしておみくじひいて、下山。
冷え切ったからだを温泉でぬくめて帰る。温泉っていいなあ・・・・・。