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〈性愛系出版物〉 造語だけど、この際語感重視で。
そういうわけでつれづれに……つれづれの話題らしく・我が性愛の歴史(書物限定)をば。
*
わたしが文字を読めるようになったのは三歳くらいの頃で、幼稚園にあがる前に通っていた日曜学校で、幼すぎてお祈りを免除された幼児が遊ぶ部屋に置いてあったアンデルセンの全集をむさぼるように読んでいた覚えがある。
そうして活字に親しむようになってから五年ほども経つと、世の中にある本はどうやら二種類に大別できそうだ、ということが分かった。
すなわち大人が「読みなさい」って薦める本と、そうでない本の二種類。
わたしは勿論素直なよいこだったので、薦められた本を中心に読んでいたのは言うまでも無い。
そうして薦められなかった本はたま~にしか手に取らなかった。今よりもっと本を読んでいた頃で、何しろ出会う物語の殆んど全てが新しいものだったから…。
で わたしが初めて接したいかがわしい本は西鶴の『好色一代女』だった。岩波文庫黄色、亡くなったばかりの祖父の本が大量にうちにまわってきたときのもので、当時わたしは小学校三年生だった。まさか親も小学生が書き下しの古文に手を出そうとは思ってなかったみたい、それに天下の岩波文庫がそんな艶っぽい本を出してるとも思わなかったみたい。
実際わたしにとっては旧仮名遣いを我慢すればそれほど読みにくくは無かった、親切な注記がついてたし、実際日本語だって学んでいる途中だったんだから ちょっと新しい語彙が増えるくらいのもので。
わかんなかったのは、ツビとかアワビとかそういう隠語のニュアンス。隠語が隠語であるゆえんがそもそも、わからない。それでもなんとなくイカガワシイ雰囲気は理解できたので、仄かに興奮を覚えたりもしていた(人間の性衝動は頭脳の働きが大きいってのがこれでよくわかる)。
一代女でこれだけ描写が露骨なんだから『好色五人女』はさぞかし、と期待して読んだらこっちは純粋な悲恋物で、拍子抜けしたのを覚えている。
まあそんなかんじに『好色一代男』とかも読んでね、これで陰間とか男色とかそのあたりの知識を入手して、ついでに「現代と江戸の性風俗差異」みたいなことまで知った。
そういうわけで「古典はエロくてノーマーク・ノーチェックだ」、と知ったのでいろいろと手を伸ばしていった。
『アラビアンナイト』は小学四年生の夏休みをかけて全巻読んだけどこれがまたのっけから性描写の嵐。しかもプレイのバリエーションも多彩で、へえー大人ってこういうことをやってるんだなあ、すげえなあ、と感心しながら読んだ(間違ってる)。
小学校高学年~中学くらいの頃はダン・オニロクの人妻ものとかカワカミ・ソウクンとかちらっと見る機会もあったけどこっちはさすがに未成年にはガード固くて、しかも情景描写のこれでもかというような露骨さがどうも苦手で、あっさり古典に戻った。今もってあたしはエロスは好きだけどエロは苦手。
で、澁澤龍彦なんかを読み始めてからサド文学、『ソドム百二十日』『ジュスチーヌ』に『O嬢~』、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』にマゾッホの妻の告白録、バタイユの『マダム・エトワルダ』、も少し経ってからマンディアルグ『城の中のイギリス人』、アポリネール『一万一千の鞭』、ジャン・ジュネの一連の男色小説、それと稲垣タルホの『A感覚とV感覚』はじめとする美少年賛美ね。
中学時代は中国古典にハマってたから『金瓶梅』なんかは真っ先にチェックした、でもこれはエロスというよりはポルノだなー。『紅楼夢』も直接描写がそこそこあったりする。
サドはひととおり通読したけど、そこまで夢中になれなかった。これでもかという性行為や拷問の反復は、ほとんど哲学的ですらある。だったらマンディアルグの方がまだしも読みやすい。アポリネールのやつは何気に日本も舞台になってるので親しみわくかも、まあおフランス人が勝手に考えた『なんちゃって日本』だけど。未完だけどビアズレーの『美神の館』は挿絵込みで綺麗だったな。アレティーノの『ラジオナメンティ』は、エロスはともかくとして笑えるのでオススメ。アレティーノ自身、スキャンダルを種に強請りをやって稼いだ金で豪邸に住んで笑い死にしたとゆうとてもいいキャラだしね。
一番読んでないのは現代官能小説なんだけどこれはもう読む気がしない、だって原型って言うか…どんなに斬新で奇抜なものでも、雛形はこれらの古典の中にあるんだもん。だったら吉屋信子の少女小説とか江戸川乱歩とか読んでるほうがまだしも愉しめる気がする。
しかしまあこれだけ述べておいてなんだけど、性行為ってのは本来 書いたり読んだりするもんではなく やるもんだと思ってる(「行為」っていうくらいだし)ので、自分で書いてみようとはさらさら思わない。行為以外の部分には興味あるけどね。
親父が久々にカレーを作ったので、両親のヨーロッパ旅行と仕事の繁忙期が重なり日々の営みも心もとなさそうなGを呼ぶ。そんなときくらい私を呼びつけて『飯を作れ』と言ってもいいのに、相変わらず遠慮深い奴だ。Gが夕食時に居るのは珍しかったからか、親父は最近注目している車の話を、弟はPSPのエミュレータの話を、私は最近の日常のことなどをてんでばらばらにGにふるので、生真面目なGは全ての会話を同時進行させようとしてかえって言葉を失っていた。騒々しい一家でごめんね。
二月一・二日/
突然だが、今月末にmのガイド兼通訳として北京に行くことになった。気安く「案内するよ!」と請け負ってはみたものの、まずは中国語の復習から始めなければ……
……と、いうわけでAちゃんと中国語しばりのカラオケ大会再び! だがしかし気合い入れて仕入れたFIRやら五月天の新曲はことごとく入っておらず、凹む。。Aちゃんは来月卒業旅行でトルコへ行くらしいが、台湾へも遊びに行きたいらしい。時間が無いとぼやいていたので、「口頭試問の前に行っちゃえば?」とそそのかしておいた。論文の提出から口頭試問までの間というのはわたしにも経験があるが、どうにもエアポケットに落ち込んだように空虚で無気力な時なのだ。それでも一応卒業確定前なので、物忌みのように遠出などははばかられる。しかしまあ息抜きくらいはね、せめてね。
それから久々に大学付近へ行ったので研究室を訪ってみたらラッキーなことにF先生と再会できた。相変わらずお忙しそうだ。出版会の仕事を紹介してもらいそうになるが、諸々の都合により見送らせていただく。それでも、お顔を見れただけでも良かった。 お元気そうでよかった。
mに馴染みの店を教えようと思っていたら無くなってしまっていたのが衝撃だった。よくゼミ仲間でつるんで飲んでいた、大好きだった店。一年前に行ったのが最後だった。もっと行けばよかった。ああ。
二月三日/
mんとこの犬に尻を咬まれる。(遠からず咬まれるのであろうなあ)という予感というか運命は感じていた、警戒心の強い犬で毎回激しく吼えられていたし。しかし動物に攻撃されるというのは地味に落ち込むものだ。
梅は、まだ少し早かった。
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どうやら風邪を引いたようなので、今日は薬を飲んで早く寝ることにする。おやすみなさい。
私「ああ、SMの道具であるもんね、ギャグボールだっけ?」
弟「???…・・……!? !!えええ うわああ 何でそんなの知ってんの俺ちょっとヒくわあ」
私「え?何?なんで?ギャグボールの意味を知ってるあんたがヒくのはおかしくないか?」
弟「いや 俺は純粋に さるぐつわ+ボール で想像して理解したんだもん そんなの普通知らないもん」
……そうか普通知らないのか、ヒくのか、ちょっとショックだ、と思ってmに訊ねてみたが
m「大丈夫!正式名称はボールギャグっていうんだよ。うろ覚えだからまだセーフだよ」
と 慰められた。そんな アウト! なmが大好きだ。
つうかmとはこの世界にあるもののなかでも最悪の部分を語れるっていうことに最近気付いた。最良の部分について語ることは誰とでもできるが最悪最低な会話を臆することなくできる人間はなかなか居ない。
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雑貨屋で見かけて可愛かったのでつい。
大変敬愛してる人に無造作にそう言われたので、いたく落ち込んだ。落ち込んだのはその言葉になにひとつ反論できなかったからだ。ああそうですねえ って思った。二十もだいぶ過ぎるのにいまだ大人になりきれていない。一生なれないような気もする。
じゃあ大人なんてなんなくていいや! って言えないのがわたしの性格のいいところであり わるいところだな。
大人だろうが子供だろうが生きることを続けるしかねえんだよ!!! とも言えなかった。
死ぬまでは生きると決めたんです。辛かろうが痛かろうが。だから頑張ってる。子供だけど頑張ってる。
……関係ないけどこの間、死刑制度の話を母としていて、母が「もし自分の子供が大罪を犯したら一刻も早く死んでほしいと思う」と容赦なく言い放ったのがとても恐ろしかった。その時点であなたも人殺しを認めているではないですか、っていうのと もしも私が大罪を犯したら母に死んでほしいと思われるんだろうな と思って。
正しいことはかなしいことだ。
それは前もどこかで言ったけど私は完全な悪人など居ないと思っている、人間なんて善悪きっぱりわりきれない曖昧な存在だと思っている。蜘蛛を助けて人を殺したカンダタみたいに、罪を犯した人にも救われる機会がなければならないと思う。この場合の救いとは肉体のそれではなく魂のそれだ。わたしは、善に向かいたくない人間はいないと信じている。
性善説とはちょっと違う、そもそも何を善とし何を悪とするかの規定だってあやふやなものだし…。
それは罪って何だ、ってことでもある。犬を殺して人が死ぬ時代やら、何人殺しても罪にならない時代が過去あった、今だってインドでは女を焼き殺すし近年ホワイトハウスで何万もの人を殺す決断をした人は罪に問われることもなく生きている。
「じゃあ、自分の最愛の人が殺されたら?」
そう問われて理性ではこう考えた、
殺されたから殺してやりたい、という同害復讐法は前近代までの考え方で、復讐するは我にありと言ったのは西欧の神だったがそもそも日本では江戸期まで仇討ちは認められていた、それが明治になって禁じられたのは、仇討ちの仇討ちの仇討ちで延々殺しあいが続く不毛さからだ。インディアンのポトラッチ、お互いの財産が尽きるまで理不尽な返礼を続ける儀礼みたいに。
古代中国では九族皆殺しなんていう刑罰まであった、それはすなわち・一人殺すくらいなら徹底的にその周辺まで殺しまくらないと、ということで。 それを是とは言えない。
でも感情ではきっと
八つ裂きにしてやっても飽きたらない、
と思うんだろう。