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ゆめ か うつつ か
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Gが誕生日祝いをくれるというので奥多摩ドライブがてら、顔くらいあるパンシチューの店に。

  マジで顔くらいある!! これで¥1500ってやっすいよなあ。


完食した人はお店のブログに載れるらしいが、しかし、無理でした。。今、胃腸の調子悪いしなあ・・・パン半分だけ残して、玉砕。 悔しい。正直悔しい。

G「そんな、うまいもんくうのに、フードファイター要素入れなくても」。

ごもっとも。

奥多摩は紅葉が盛りでした。そういや、霜月初めにもGと紅葉狩りに戸隠を走ったっけ。今年の紅葉はGと堪能、だな。

Gも再就職を決めたそうで、

G「年越しニートの夢、破れる。新年の挨拶に、『働いたら負け』って言ってみたかった」

とかほざいていた。あのなあ!!! 本気出せば引く手数多の才媛Gと違って、社会で息するのもやっとのわたしには、うらやましくもまぶしい感じ、ではある。










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スイーツ特集見てたら、勤務先の近くに有名なたい焼き屋さんがあることに気づいて。

羽根つき。焼きたてパリパリ+ふわあま。んまい。

思わず箱買い。同僚、上司、家族、友人におすそ分け。美味しいものはみんなでわかちあうのがいい。 しかしたいやきってファストフード、だからほんとうは、やきたてそのままつくりたて、が、いちばん、んまい。
外間守善先生が亡くなったことを携帯の配信ニュースで知って驚いた。

まず携帯ニュースで取り上げられるような著名人ではないことと(一部では超有名だけどあくまで一部)、そして訃報を知ったのがわたしの誕生日だったこと。かなり前になるが、お会いしたときは、まだまだお元気でいらしたことがある。

外間先生は沖縄出身の学者で、沖縄学の第一人者だった。沖縄について研究しようと思ったら避けては通れない、民俗学をかすめただけのわたしでさえ知っていたような、えらい人。

わたしがお会いしたのは、那覇市の市民講座だった。大学時代、沖縄出身の友人に食事だけ世話になり、二週間ほどぶらぶら那覇に滞在した折りのことだ。

友人に「遊びに行きたいな、泊めてよ」と告げるも、「部屋がない」と言われたわたしは、「じゃあご飯だけ食べさせてよ、宿は別にとるから」と図々しく押し掛けたのだった。……今こうして書いてても、改めてものすごく図々しいな。反省。

まあそんなこんなで、滞在中に先生の講座があると教えてくれたのもその友人だった。講義の内容は、沖縄の言葉に関する初歩的なもので、わかりやすく丁寧だった覚えがある。
東京から来たこと、所属大学、民俗学に興味があることを告げ、本に署名を求めると、署名ののちに一葉の名刺をくれた。「この名刺を出せば、東京にある沖縄学の研究所の本を借りれるからね」。

スゲー、と思った。どこの誰ともわからぬ馬の骨にそんな便宜を図ってくれるなんて。あとから知ったが、こういう気易さは学問の世界ではわりとあたりまえなのだが、そのときわたしはまだお気楽な学生だったので、その気さくさ、あたたかさに単純に感動した。帰京してから何冊か先生の本を求めて読み、卒論を沖縄研究にしようかどうか迷ったほどだ。

とはいえ、わたしは沖縄を研究することなく、その後沖縄学研究所を訪れる機会もなかった。もっとも、誰に会っても結果的に不義理をしてしまうわたしゆえ、それはよかったのかもしれないが。

外間先生、今ごろはニライカナイでしょうか。今生ではお疲れさまでした。













深夜、何気なく入ったコンビニのレジが軽く長蛇の列で。

よく見たら全員同じ「ウコン」ドリンクをひとつずつ買っていて。

あまつさえわたしの目の前の外人は、ネクタイを頭に巻いていた。

…………全員呑み仲間ならドリンクくらい誰か代表で一括して買え、とか。そもそも大の大人が集団で、終電逃すまで呑むなよ、とか。生まれて初めて頭にネクタイ巻いた酔っ払い見たのに外人かよ、とか。

瞬時に様々な思いが去来した。













さてわたしは27になるまで、あらかじめ与えられていた自らの身内を覗き、人生に自分以外の他人を容れるつもりはなかった。

何度かお付き合いらしきものはしたが、いざ継続した関係を築かねばならぬ段になるとうんざりしていることに気づくので、到底付き合い続けること、引いては結婚など考えられなかったのだ。相手が悪いのではない。二、三の親しい友人を別として、わたしは誰かといると必ず、ひとりで居るよりもはるかに強い孤独に苛まれるという性があった。それで結局、ひとりでいたほうがましという結論になった。

はじめから終わりまで自分だけの人生を生きる覚悟を決めたらいろいろ楽になった、一生独りでいると決めてしまえば複雑なことはなにもない。就職についてもさほど悩まないで良くなった、自分ひとりなら何をしても食えるだろうし、食えなくなったら死ぬだけで、家族が不要ということは墓も、悼んでくれる存在も不要だからだ。なるべくシンプルに、日々飯を食い糞をひり、こころ穏やかにのたれ死にたい。

そう決意したのが二十代のはじめで、次第にすべてを放棄しつつ余生を生きようとしていた矢先、わたしは、思いがけず恋に落ちた。たちの悪い冗談みたいだが本当の話だ。ここまでくると恋はむしろ落とし穴、災厄に近い。取り返しのつかない愚かしさや思い込み、一生背負うであろう業や、絶望的に面倒くさいもろもろの手続きやらを考えると未だにかるく死にたくなるが、しかしまあそれも含めて恋だ。


つくづく人生は容赦ねぇなと思う。思い通りにはいかない、読めない、わからない。ちきしょう、おもしれえな。
















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