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ゆめ か うつつ か
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外間守善先生が亡くなったことを携帯の配信ニュースで知って驚いた。

まず携帯ニュースで取り上げられるような著名人ではないことと(一部では超有名だけどあくまで一部)、そして訃報を知ったのがわたしの誕生日だったこと。かなり前になるが、お会いしたときは、まだまだお元気でいらしたことがある。

外間先生は沖縄出身の学者で、沖縄学の第一人者だった。沖縄について研究しようと思ったら避けては通れない、民俗学をかすめただけのわたしでさえ知っていたような、えらい人。

わたしがお会いしたのは、那覇市の市民講座だった。大学時代、沖縄出身の友人に食事だけ世話になり、二週間ほどぶらぶら那覇に滞在した折りのことだ。

友人に「遊びに行きたいな、泊めてよ」と告げるも、「部屋がない」と言われたわたしは、「じゃあご飯だけ食べさせてよ、宿は別にとるから」と図々しく押し掛けたのだった。……今こうして書いてても、改めてものすごく図々しいな。反省。

まあそんなこんなで、滞在中に先生の講座があると教えてくれたのもその友人だった。講義の内容は、沖縄の言葉に関する初歩的なもので、わかりやすく丁寧だった覚えがある。
東京から来たこと、所属大学、民俗学に興味があることを告げ、本に署名を求めると、署名ののちに一葉の名刺をくれた。「この名刺を出せば、東京にある沖縄学の研究所の本を借りれるからね」。

スゲー、と思った。どこの誰ともわからぬ馬の骨にそんな便宜を図ってくれるなんて。あとから知ったが、こういう気易さは学問の世界ではわりとあたりまえなのだが、そのときわたしはまだお気楽な学生だったので、その気さくさ、あたたかさに単純に感動した。帰京してから何冊か先生の本を求めて読み、卒論を沖縄研究にしようかどうか迷ったほどだ。

とはいえ、わたしは沖縄を研究することなく、その後沖縄学研究所を訪れる機会もなかった。もっとも、誰に会っても結果的に不義理をしてしまうわたしゆえ、それはよかったのかもしれないが。

外間先生、今ごろはニライカナイでしょうか。今生ではお疲れさまでした。













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