忍者ブログ
ゆめ か うつつ か
[295]  [296]  [297]  [298]  [299]  [300]  [301]  [302]  [303]  [304]  [305
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

行ける時に行っとく。
U城です。桜祭りにも武者行列やるんだなー。月末の祭りも楽しみ…!




PR

何かを選ぶのは何かを捨てることだからつい現状維持に走っちゃうんだよなあ、守りに入ったらそれ以上のものは得られないのはわかってるんだけど小心者だから失うことのほうが怖いんだ、とか言い訳しながらいろいろ考えている。



「リスペクト」って、ラッパーが使っちゃうようなイマドキの言葉はどうも性に合わなくて、やっぱり「尊敬」「畏怖」「崇敬」「憧憬」とかそういう思いを、でもやっぱりうまく一言でまとめられないので臆面もなく使ってしまうと(前置き長い)、私が昨今もっともリスペクトしている表現者のおひとり、と握手してかつ言葉を交わしてしまった。雑誌や本で何度も見てるあの顔と目が合ったし真後ろを通り過ぎたし息のかかる近さでお話しをした。

…きもちわるい。自分が気持ち悪い。このためにどんだけ周到かつ大胆にふるまったか考えると心底きもちわるい。いやきっかけはささいなことだったしまさか本当にうまくいくと思わなかったしGまで動員してわざわざ、うああでもさあ!でもさあ!ある日偶然隣の家にマツザカが越してきた野球少年の心情を考えてみればいいよ!すなわちどうにかして少しでも接触したい!!

遠すぎる人物が偶然、手を伸ばせばとどくかもしれないとこにいた、ならあたしは全力で背伸びする!

正直いろいろ思うとこがないでもなかったけどやっぱりあのあったかい右手に触れることができてよかったと思う。力をわけてもらった、そういう気分。

なんというかまあ場違いこの上なかったけど懐かしい方にお会いできたり勉強になったりいろいろ面白かった。



政治は本来あらゆる意見の最大公約数たらねばならないのだとおもう。マイノリティのためにマジョリティの意思が尊重されない事態は避けねばならないが、しかしマイノリティの訴えもまた省みられねばならないはず。
つまりは譲歩の立脚点を線上のどこに置くべきか、であって、それは双方ともに「痛み」を負う選択であるということ。最初から敗北を想定すること。その敗北のダメージを最大限少なくすること。

ってちょっと考えた。あたしはアタマが弱いので難しいことはわからない、政党対立なんてくだらないと思う、みんななかよくすればいいと思う、仲良く出来ないのは誰かがワガママを言ってるんだと思う、そしてワガママを言ってるのはひとりではなく みんな なのかもしれない… そういうこと。

まあこんなことはアタマのいいひとたちにはわかりきってることだ。わかっててやってるんだよね、それもすごいよね。パフォーマンス…政治の劇場化…自分が味方であるためには誰かを敵にしなければならない…戦うの前提、そりゃ「出陣」とかいうわけだ。



車擦った。
擦ったのはあたしじゃないけど成り行きであたしが責任をとることになったのは確かなのでちょっとブルー…

マルグリット・デュラス/平岡篤頼訳
「木立の中の日々」 いわゆる今で言うニート、のジャックの母がパリにやってくる。母は同居人(つうか恋人)マルセルとどうしようもない生活を送っているのをみる。働かない。金は嫌いだから、と嘯いてバーで名前のない仕事(ホスト)をやるジャック。うーん途中までとてもおとーとを髣髴とさせる…
「 ボア」 毎週日曜日に動物園で大蛇の嚥下(デヴォラシオン)と老嬢の裸(悔恨に飲み込まれる;嚥下)を見せられる少女の話。きもちわるい。そこがいい。

井伏鱒二
『白鳥の歌/貝の音』 マトモに読んでるのは白鳥の歌だけだけど。
なんか借金のかたに劇団に置いてかれた女形の梧桐が語り手にチェーホフの「白鳥の歌」の改編を頼んだけど結局夜逃げして…とかいうたあいもないエセーだった。
殴られた梧桐(女形、っつうかオカマ)のけらけらと笑う声が聞こえてきそうで眩暈がした。

ドナルド・バーセルミ/柳瀬尚紀訳
『王 the king』  アーサー王物語が!アーサー王物語が!こんなふうに!解釈されるなんて!只者じゃない!バーセルミ!やけに皮肉っぽい登場人物が!やけに俗っぽい登場人物が!リアルに書かれて!現実のイギリス王室への皮肉も書かれて!

…とまあこんなふうだったり、諧謔的だったり。バーセルミ好きだ。

内田百間
『御馳走帖』
戦時下、食べたいものを列記しただけの簡潔なエセー。久々に読み返したけどやっぱり面白い。
アイスクリームは食べるか飲むかと問われたらば、やはり食べるのだと思いますよ。煙草は二十歳を過ぎてからだとも思いますよ。

小川博編 瀛涯勝覧
『中国人の南方見聞録』
吉川弘文館 / 明代馬歓の撰したものの翻訳と注解。
今日の東南アジア・インド洋・ペルシア湾からアフリカ東岸への海路遠征など。地図辿るだけでも面白い。

ちょっとだけconfession、告解しておくと実は今一番進んでる選考(最終結果待ち)に受かってしまうと来月の今頃はもう日本に居ないんだな。ごめんあたしわりと最初から海外就職狙ってた。
んーとね 研究で日本人論みたいなことやったおかげで日本を外から眺めたくなったし、いちど海外(かつ日本企業)で働いてみたかったし、そう悪くない条件(特別よくもないけど)だったから。

受かるかどうかはわかんないけど具体的にいつ現地に飛べるかの打診はされている、つうか来週くらいまでに飛べないかとか言われた。そんな無茶な。行ったら最低1~2年、長くて4・5年は帰らないと思うのでほらいろいろさあ…

まあ受かったらの話だけどね。四月馬鹿がほんとになったらごめん。



あのね、「三界に家なし」っていうことばがあるけどあんな気持ちなのね、家を出たときからどこにいても落ち着けないし落ち着かない、この世界に居場所が無い感覚、不安なんだ、山小屋にすがる前に自分で自分の居場所を作るココロミをしたいんだ。この気持ちは小さい頃よく感じてて、それは子宮を出て生れ落ちたときからの不安に似てる。何処に居ても、日本でも海外でも同じなら日本にこだわる必要は無いって思ってさ。

↑昔こういうこと言って母を泣かせたことがあるけど、別に家族とか友達が大事じゃないわけではなくて、すごく大事だし大好き、だけどそれとは別なんだ。あたしは、いつだって、誰に会うのだって、次また会えるかどうかわかんないと思いながら生きてるし毎日がいっぱいいっぱいだから、別れの重さは全て平等だと思ってるし相応のダメージをいつも、受けている。







実はあんまりがっかりしていない。この先選考を進めようという気があまり無かったからだけど、自分にとってまるで現実感の無い仕事を受けようとするとこうなる、という教訓にはなった。
予感て言うか、自分がこうなるだろうなーっ、つうビジョンが見えないのはダメだ。今までの人生、学校でも恋愛でも仕事でも大体において何となく自分の流されてゆく方向が見えてたけど、いつもいつもこういった予感の導くままに生きてるのが嫌になる。せめて明るい方に行きたいと願うくらいは許されないものかしら。自分を罰する方にしか向かえない、痛みだけが現実、そんな自分への反逆のつもりだったんだけど…

そこに光があるのに影だけを追おうとする、オロカモノだなあと思う。
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ryu
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ [PR]