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ゆめ か うつつ か
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わたし「いいなあ蛇は、肩が凝らなそうで」

m「肩、無いしね!」

そういやそうだ!

いや、枝の上で全身預けてとぐろを巻いているのを見たら、何かラクそうで。。


 だらーーーーーん と 体を預けきりたい。
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1853年、ロシアから来た船に乗っていたゴンチャロフ氏が書き残した『日本渡航記』を神保町のワゴンセールで見つけ、好きなペースで読んでいる。

目下、氏は香港のうだるような暑さの中から小笠原諸島を抜け、長崎へとたどり着いたが、日本からの接岸の許可が下りずに、もう三ヶ月も洋上を漂っている。いらいらして、日本人評が次第に辛らつになってきているのがよくわかるところだ。

19世紀のロシア人が日本人を見て思ったこと

・顔が女のようにつるつるしていてキモい
・しゃべり方も女のようなささやき声
・髪型が珍妙すぎる
・動作は優雅で、礼儀正しい
・甘いもの好きで、何でも持って帰る

・・・・

「白い編み棒」でどうやって飯を食べるのだろうと困惑する場面、「サキ(酒)」はまだしも白湯を飲む風習はどうにもいただけないと思うところ、「乞食から貴族に至るまで日本食のアルファでありオメガである魚」という表現など、食べものについてことさらにこまかく記しているところをみると、ゴンチャロフ氏はかなりの食いしん坊らしい。

それにしてもたかだか百五十年ほど前の日本とそこを訪れた外国人の、どちらかというと外国人の気持ちに親近感を感じるというのは、日本人としてはちょっと複雑なのであった。




 熱海を一望できる立地に建つ美術館。下の駐車場から行ったらとにかくエスカレーターが長くてびっくりした。「ながすぎだっつうの!」とコドモが叫ぶほどに。

展示は日本美術が主で、秀吉の「金の茶室」再現(障子まで赤つうのは落ちつかなそうと思った、和というより中華っぽい)、茶器、仏像、九谷焼など。古九谷の皿で面白い図案がいくつか見れたのはよかったな。茶壺、茶碗にも粋なのがあった。しかしなんにせよ寂びているのでワカモノ向きではあまりないかも。

 広場。焼けつくような暑さだった。

展示品に千利休の手紙があって、「織部とふたり、熱海で湯に入ったが、洞窟の中に苔を莚として入った」みたいな内容だった。当時は蒸し風呂が主体だったらしいからなあ。五百年弱前にも利休さんが熱海にお湯に来てたとおもうとなんか楽しい。

利休と織部ならぬ現代のわれわれはその後箱根でお湯を使って帰りました。一泊二日、あますところなく遊んで悔いはありません!!






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