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近くのショッピングモールをぶらついていたら、とあるシルバーアクセサリーのお店で「お姉さん、もしかして昔、教育実習やったことありますか?」といわれた。ビンゴ!で、元教え子だった。
教育実習やら塾講やら家庭教師やら教室アシスタントやら、学生時代教育関係に縁があった関連で、数年前くらいまで元教え子から声をかけられるのはめずらしくなかった。どうもわたしはどこへ行っても、小学校でも中学校でも高校でも、教師というよりは「話が面白い近所のおねーさん」くらいの扱いで、だから教育実習ではご法度の生徒とのメルアド交換も2、3やっちまったし、自分のそういうところがあまり教師に向いていないと自覚したので教職を見送ったくらいだ。
(誤解のないように言っておくと、メルアドを交換したのはもっぱら実習中に悩み相談を受けた女子で、なんだか自分の通ってきた路だなあ、つらそうだなあ、まあ何とかなるよ、少なくともわたしは何とかなったよなどとうだうだ返事にもならないようなことを呟いただけだったので、なんら犯罪性はないはず、と自負してはいる。)
ただやはり、わたしの授業が面白かったから覚えていたと言われたら、とても嬉しいではないの。
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中学の実習でわたしの担当になったベテラン教師とわたしは最初から対立してしまい、アカハラとまではゆかずとも、わたしはけっこう苛められたほうだと思う。放課後、夜十時ちかくまで数時間延々と黒板を書かされたりもした。確かにわたしは字も汚いし、授業も手馴れていなかったがしかし、毎回生徒の目の前で間違いを指摘・証明することはなかったんではないかと今でも時々うらみに思うときがある。救いだったのは生徒たちが全面的にわたしに同情的だったところだ。「先生かわいそう」とみんな優しくしてくれた、教育実習にまつわる話はいろいろあるけどこういうパターンは実際珍しいほうだったんではないだろか。
あれからだいぶたって、教え子は立派に社会へと羽ばたき、わたしは相変わらずかろうじて社会にしがみついている、彼我の距離を思うと感慨深くなった。
ケバブ屋やタコス屋、トッポキ屋台を横目で流しつつ、たこ焼きやきゅうりの一本漬けに目が行ってしまうのは、日本人だから。エスニックの麻薬的な味もたまにはよいが・しかし基本はやっぱり白米味噌醤油万歳。経験上、誰しも生まれ育ちには逆らえない。イスラムに生まれた人間が知らずに豚肉を食わされたと知ると、知ったその瞬間から嘔吐する。ベジタリアンは肉を食うことに罪悪感を持つ。しかしそれでいて肉を腹いっぱい食いたいと望むひともいて、そのジレンマが、見事すぎて芸術的ですらある精進料理を生んだ。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべての記憶を味覚で埋め尽くしたい。
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屋台で買った広島風お好み焼きの90パーセントがキャベツだったかわいそうなmに何か慰めの声をかけようと、「わたしの買ったたこやきも、なんかモチモチだった」と述べたら「いいじゃねえかあああ!! ナニソレ自慢!?」と叫ばれた。もっともな話だ。
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喫茶「おきな亭」にて。ミルクセーキとトースト。ママレードがうまい!
また行きたい!
前のケータイはきっちり三年使った。デザインケータイ、壊れるまで使うつもりだったけど、ICカード入れれば旧いのも使えるときいたし、それならむしろ壊れないうちに替えておこうと。
万歩計がついていて、消費カロリーが計れるのが嬉しいところ。自分がいかに歩いていないかがよくわかって、嬉しくて悲しいところ。
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怖かったこと。
寝起きにケータイのアラームを止めたあと、寝ぼけててスライド部分をむりやりふたつに折りたたもうとメリメリ、力をいれていた。ややあって自分が何をしでかしているのか気付き目が覚めた。ケータイは無事だったが、正直アラームよりも心臓に悪い、セルフ目覚まし。