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ゆめ か うつつ か
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姪っ子Aの誕生日、ひと言おめでとうを言うため姉に電話すると、「ちょうどケーキを食べているところなの、ちょっと待ってね」と、Aに代わってくれた。

わたし「もしもしAちゃん? 今何のケーキ食べてるの?」

A「……いまねー、Aちゃんは、アイスたべてるのー」

わたし「アイス? ケーキじゃないの?」

A「……プーさん食べてるのー」

わたし「???」

そこで姉が代わっていわく、彼女は今、「プーさんの形をしたアイスケーキ」を食べているとのこと。Aはある意味、大変的確に答えてくれていたわけだ。恐らく、もう少しゆっくり話すことができていたら、Aが食べているものが一体何なのか、姉の解説がなくともわたしに完璧に伝わったはずだ。

幼児は自分の表現能力を超越したものについて問われても、幾つかの示唆や曲折を経て的確な答えにたどり着くことができる、という言語学実験を、U・エーコがやっていたのを思いだした。

もう少しAの語彙が増えたら、ゆっくりと「質問ごっこ」をしてみようと思っている。



老人の話はこの上ない知的財産だが、子どもの話は貴重な発見の連続だ。思うにオトナがいちばんつまらない話をしている。


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mはもともと食が細かったのだが、近年過敏性腸症候群に加え逆流性胃腸炎を併発してしまい、本当に小鳥ほどの食事量になってしまった。眠ることと同じくらい食べることを愛するわたしにとってはまことに痛ましい限りだが、幸い本人はあまり食に対する執着がないので、けろりとしてヨーグルトなぞすすっている。

不憫がりながらもそんなものかと納得していたが、思わぬところで節制、小食の害が出た。さしたる栄養が摂れないので軽い風邪が治らず、ついには気管支炎になってしまったのだ。

それでもらってきた薬が、粉薬を小型の噴射器に装填し、シャコッとまわすと吸入できる、というちょっと面白い薬で、おそらくわたしは使う機会に恵まれることはそうそうないだろうというものめずらしさも手伝って、不謹慎にもカッコイイ!とか思ってしまった。気管支をわずらうのがそもそもなんかカッコイイ(咳の病=サナトリウムという安直な発想)。アトピーとかわずらってる場合じゃない。いやアトピーもそうとう辛いけど。



ところで食べるって大切だなーと改めて思った。とある友人はダイエットで米を食わずにこんにゃくばかり食っていたら生理が止まってしまった。食は生きることの基本、毎日の大切なエネルギー源なので、mにはもっと食に執着を持って欲しい。そんでまるまる太って元気になって欲しい。切に。

 五片の花弁が、もとはこうしてぴたりとくっついて、球形を成していたとは。展開図の問題みたい、数学的なうつくしさ。

ときが来ればひとりでに割れ弾けのだろうが、それまで中はどうなってるんだろう、ああ引き裂いて中を見たい、という誘惑に駆られた。

昔、学校のベンチの前に山茶花がたくさん植えられており、友達と駄弁りながらのてすさびに、花が咲く前の固いつぼみを中まで全て、閉じた花弁をこじあけまだ青白い蕊がこぼれるまでばらばらにむしる、という罪なことをやったものだが、不思議と飽きなかった。足もとには瞬く間に若い山茶花の骸が積もったものだ。

自然に出来る閉じた空間(例えばたまご、例えば竹の節など)を「うつぼ」といい、古来より不可思議な力が宿っているといわれているが、それを暴きたいと思うのもまた「うつぼ」の魔力だろうか。開けた途端その力を喪う、儚い魔力だが。

竹取物語の竹、桃太郎の桃、瓜子姫、瓢箪のなかの仙境、なもしらぬとおき島より流れよる椰子の実、胡桃の中の世界、枇杷の見る夢……文学のなかでもうつぼは大人気だね。






「彼は彼女の全てに感謝した。彼女によって彼は男となり、市民となり、父親となることができたのだ」とまあ概ねこのような一節をマルケスの著書で読んで、そのことばの群れのあらゆる意味に、深く感銘を受けた。

愛が人をなにものかに変える。または愛が人になにがしかの変化を与える。当たり前のようでなかなか思いあたらないことばだと思う。

何かにはなりたいとずっと思ってはいるが、その前に、人に成りたい。





男の変化は漸次的だが女の変化は実に瞬く間に顕れると思った、がんらい女のほうが環境に適応しやすいらしいし。

←男は長い時間をかけゆっくり成人するが女はあっというま、すなわち月経が来たらもう大人。男向けの玩具はいくつになっても(それこそ40、50になっても)あるが、女向けの玩具はせいぜい十代半ばまで。ずるいなあ。

20代も黄昏の弟に、小学校の同窓会の知らせが来た。

弟「へぇ、幹事の女子三人連名のうちふたりが旧姓だ。まあ今はこんなもんだな」

私「養子を取ったのかもよ? Gに聞いたんだけど、あんたの学年のA君、養子に行ったらしいし。次男だし、まあ相手の家に跡取りが居ないなら妥当かなと思ったけど。ご両親は何でか相当がっくり来たらしいってねー」

弟「えっ! マジで、Aが!? そりゃがっくり来るだろ! もともと失わなくてもいい息子を失ったんだぜ!」

私「え、何で? 失ってないでしょ、息子は息子でしょ。だって子どもが女だったと思えばさ」

弟「いやー、結局、自分の名を継ぐ子孫をどれだけ残せるかでしょ! 陣地争いみたいなもんでしょ! オセロみたいなもんだよ、ひっくり返したもん勝ち」

私「……え だって 私は、別に、陣地なんて気にしないけど」

弟「お前は端からひっくり返る気ないだろ」




そのとおりでございます。

っていうか、そんな、「陣地争い」とか言うからこの世から戦はなくならないんだぜ!!

人は懸命にゲイになる努力をすべき、とフーコーは言った。

性(セクシャリティ)の多様さは生の多様さであり、自らの生き方の可能性をひろげるために、人はゲイになろうとしなければならないと。

哲学的につきつめると、人間はよりよい生き方を模索すべきで、それはより多様な生き方を容認すべきという話に繋がる。

差別も偏見も迫害も無い世界を、いつか形成できたなら。


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