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ゆめ か うつつ か
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某省に居る友人と旧交をあたためがてら、日本の現況を判じる材料を伺おうと、いろいろ尋ねてきた。

震災処理でさぞ忙しかろうと思っていたら、彼女の部署は震災とまったく関連がなく、かえって仕事がなくなってしまい休暇をとってボランティアへ行くひとも居るくらいだという。官僚なんだから私的ボランティアへ行くよりも大切な仕事があるだろう、というのは素人のあさはかさで、考えてみればお役所というものは非常時向けには作られていない。

役人は現状をつぶさに調査・吟味し最適な方法を緻密に編み出してゆくのは得意だが、とかく時間がかかるのが難点だ。右のものを左に移すにもいちいち判子が必要と、友人も首をすくめていた。

そうかそれで私的ボランティアか、それはそれで尊く素晴らしいことだ。とは思いつつ、どこかふにおちない。省庁というのは国の重要組織で、役人はその血液とも言えるが、その血液が、一部とはいえ個人プレーを余儀なくされるほど組織が動脈硬化しているようじゃあ、なんとなく不安を覚えざるをえない。
ま、友人としては、多忙すぎて体を壊されるよりは、多少暇なくらいが心配がなくていいのだけど。





ところで旧交というのはあたためどきがあるらしく、先日のエイプリルフール以来福岡の友人とやりとりしていたら、トントン拍子に福岡へ遊びにゆくことになった。

というわけで今既に福岡。実に四年ぶり!

 
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花粉症がぶり返した母を送還。

普段かなり安全運転なほうなのだ(と自負している)が、多少疲れた状態で運転すると早く到着したいと思うからか、ぐんぐん踏み込めてそれはそれで楽しい。カーヴの多い道だって、ラインと速度を考えればへいちゃら。「ゆっくり」にするタイミングを間違わなければどんな道だって往けるんだよ。スキーと一緒。車だって見えないシュプールを描いてる。うつくしくないラインはだめだ。轢きたての猫の死体をまたいだときにそう思ったね。



以下、箇条書きで。

 強そうな船

 「だいだい」のオレンジピール。お茶請けに最適。

 藤の花

 たけのこ&わかめ。相性最強!

 すすけたがらくた屋の二階から見えた、きらきらまばゆい世界。

いつのまにか在る絵。
綺麗、童話みたい。




  
近くに川がある。

もう少し遡れば渓谷となり太公望でも居そうな雰囲気だが、とろとろ流れる下流でも、季節ともなると釣り人がそこかしこに糸を垂れる。

あいにくそんな好適地に居ながらわたしはほとんど釣りの経験が無い。親父なんかは小さいころずいぶんいろいろ釣って、近所の池の鯉まで釣って、ほんとに釣れると思わなかった立派な緋鯉が釣れたので腰を抜かしたらしいが、今は「殺生はイヤだ」と専ら茸や山菜取りに転向してしまった。そこへゆくと亡き伯父は釣り道楽で、鰍の唐揚げなぞをよくご馳走になった。あの味は今も懐かしく思い出す。

ずいぶん前の話だが、父の知人でなかなか本筋の釣客が居り、わざわざ自分で藤蔓を加工した、朱塗りの立派なタモ網を譲ってもらったことがあった。それをわざわざ田舎の山小屋まで持ってゆき、有り合わせの竹竿に糸を付け小屋の前の小川に垂らしたが、当たり前のように坊主だった。今考えても馬鹿らしくて笑えてくるが、そのときわたしが付けた糸は、祖母の刺繍箱から取り出した縫い糸だったのだ。ざりがに釣りじゃあるまいし、あんな弾力のない糸ならまだしも髪の毛のほうがマシだろう。確か井伏鱒二が髪の毛をテグス代わりに毟られた話を書いていた。そのときのわたしは、とにかく釣りの真似事をしてみたかったのだ。

そう言えば小さいころ、たまに行く駄菓子屋のことを「つりぐ」と呼んでいた。年かさの子どもがそう呼んでいたから口まねをしていたのだが、駄菓子の奥には確かに釣具が並んでいた。派手な色の浮きがちょっと綺麗だなと思ったが、それきりだった。

漢詩や漢文、墨絵によく出てくるような、のどかな風景につきものの漁夫、釣り人というのはいかにも風雅なオモムキで、いつか自分もそういった古淡の風景に溶けこみたいと思うのだけれど、未だ果たせずにいる。

爛柯の例えではないが、藤蔓の網が腐らない内に、水上で魚と戯れてみたい。ユルスナールの短編みたいに、墨絵のなかに紛れたい。

 装丁と栞の明るいコントラストも春めいて美しい。





吉屋信子の小説を立て続けに読んでいたら、無性に塚本邦雄が読みたくなった。わたしはどうも、悪意のある文章のほうが読んでてすんなりくるみたいだ。それでいて、たまに吉屋信子みたいにお綺麗な物語を欲する。

しかしまあ、吉屋信子はいくらなんでも話が綺麗すぎる。妻と夫とその愛人が居た場合、妻と愛人で結託して夫を欺くなんて・現実じゃなかなか考えられないぜ。

確かに「同じ男を愛した」、これ以上固い絆は無いのかもしれない。しかしその連帯は、義父と息子が手に手を取って駆け落ちする(by塚本『八朔』)くらい非現実的で、だからこそ甘美なのかもしれない。

要するに表と裏というわけか。





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