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ゆめ か うつつ か
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どこまでも透きとおった空、一匹の魚影も無い澄み渡った海、荒れ果てた浜が続く。

人は居ない。打ち続く枯木と大量の瓦礫のなかから、幽かに赤ん坊の泣き声が聞こえる。早く助けなければ、とあちこちを探し、崩れた梁(うつばり)を除け柱を動かそうと躍起になるが、手が傷つき、血が流れるばかり。

不意にどこからか襤褸をまとった男が現れた。男は必死に赤ん坊を探すわたしを見ても、手伝おうともしないで薄く笑っている。不快感に思わずなじると、男はえへえへと笑いながら倒れた戸棚をゆびさした。泣き声はたしかにそこから聞こえる。わたしは駆け寄り、棚を開けた。そこには小さな、子猫ほどの奇形の赤ん坊が臨終の呼吸に震えていた。紫色にはれ上がった頭部、魚のひれのような両手、ねじくれた下半身……わたしはあまりのことに、どうしてもその児を抱くことができない。撫でてあげたいのに、触ることすら。男が気持ちの悪い笑みを浮かべているのがわかる。やがて赤ん坊は解けて崩れ去ってしまった。わたしは力なく歩き出す。あの男が一定の距離をあけてついてくる。どこまでもどこまでも。





ずいぶん歩いたころ、目の前に突如、宮殿のように馬鹿でかい建物が現れた。近づいてみると、それは砂に半分くらい埋もれているショッピングモールだった。入り口は砂に埋まり、非常階段につながる鋼鉄の扉は固く閉ざされている。かつての駐車場と思しき場所は、砂とごみの山だった。

そこにがちゃりと扉を開け、ひとりの女が出てきた。ごみを捨てに来たらしい。病的なまでに痩せて、目ばかり大きいその女は、わたしを見て言った。「きまぐれにしてもほどがあるね、外へ出ようなんざ。はやく中へお入り」。わたしはいそいそと彼女についてゆく。ちらりと男をふりかえると、後ずさるようにわたしを見ている。わたしは勝ち誇ったように中へ入る。

中は薄暗く、ものすごい人で溢れかえっていた。空気も悪く、嫌な臭いがする。ひどく不味い乾パンの粉に饐えたような水を入れたオートミールをご馳走になったが、とうてい飲みくだせるしろものではなかった。それも、座る場所も無く、立ったままの食事だったのだ。わたしは早くも女について中へ入ったことを後悔していた。わたしの残したオートミールをうまそうに平らげる女に、どうしたらまた外へ出られるのか尋ねたが、女は本気にしなかった。

「バカだね、死んじまうよ。なに、外は綺麗で清潔だって? 綺麗すぎるんだよ。あたしたち人間にはね、このくらい薄汚いところでちょうどいいのさ」。




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 空色の地、白の花弁に朱色の萼(うてな)。花は辛夷か白木蓮(マグノリア)か、いずれ春の茫洋とうすぐもった空に似合いの花に相違ない。

小さなつまみのついた蓋を払い、中の一段は茶漉しとて、蓋の内側にぴったり収まる寸法。茶の葉を除けた暁に、ようやく碗を傾け熱き甘露を味わう次第。

日本の細かくつきくだされた茶粉は合わない、あくまで茶葉の大にして拙なる、それゆえに野趣に溢れた茉莉花茶(ジャスミンティ)や茶餅(茶葉を押し固め多年を経たもの=プーアル茶)などがよく似合う。



十代後半、家出同然に中国を訪った際、助けてくれた恩人に「はいこれ、あなたの」とマヨネーズの空き瓶をきれいに洗ったものを渡された。水筒の代わりにくれたものらしい。中国のひとはそうしてよく空き瓶に茶を蓄えていた、なんのことはない、器に茶葉と湯をそそぐだけのいたって簡単な煮出し方法、バスの運転手など今でもそうして空き瓶で茶を飲む。わたしもしばらくその空き瓶を使っていた、真夏だった、茶葉が底に沈んだら、ごくごく飲めるほど冷めた証。

綺麗な茶碗を手に入れた今、飲むお茶は、なぜかマヨネーズの香りがしたあの茶にとおく及ばない。



さやさやと流れる用水路に、花片が光の雫めいてあとからあとからふりこぼれ、水に揉まれくるめいていた。

すべての桜木の下に小川を配したらいい。散る傍から彼方へ流れ去るほうが、腐り溶けて土に帰るよりも余程さっぱりとして好ましいだろう。

死体よりも、余程。


去るエイプリルフール、友人らに「お店開きました!」と嘘メールを送りつけたのは記憶に新しいが、本文に「メニューは明太子・チョコレート・めかぶとわたしの好物を織り混ぜた創作料理」と、オオボラにいささかの真実を織り混ぜたところ、福岡の友人から震災見舞いに明太子が贈られてきた。しかもかねふく。持つべきものは洒落のわかる友人なり。。


小さい頃、わたしが一番好きな食べ物はグラタンだった。

わたしが六歳頃の世相(=バブルはなやかなりしとき)のことを考えても、うちはそこまで裕福な家ではなかった。月に一度、父の給料日にファミレスに家族揃って食事にゆくのが唯一の贅沢、そんなときわたしが決まって頼むメニューがグラタンだった。当時わたしはどうにも食が細く、おまけに大した偏食で、味が気に入らなければひとくちで箸を置く生意気な子どもだった。あまりに少食なので、大人になれないのではとすら思われていたらしい。ゆえに、母はなぜ子どもにもとっつきやすい、少量のお子さまメニューを頼まないのか、少なからず困惑したという。

答えは簡単、その頃わたしは『グラタンおばさんと魔法のあひる』という児童書に影響されていたのだ。グラタン皿のあひるが逃げ出していろいろなご馳走の皿を遍歴する話だが、いやはや、形には顕れずともその当時、既にわたしは食に対して非常な関心を持っていたらしい。熱々ホワイトソースのマカロニに、とろけるチーズとほうれん草、世にも美味しそうな描写にまず舌より先に脳がやられたのだった。爾来、グラタンならば美味でないはずはないとまでの勢いを持つまでになり、幼少の思い出の味として、メニューにグラタンがあればつい注文してしまう。

つまりは……脳内、形而上のグルマンというわけ。安上がりで結構じゃない?





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