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ゆめ か うつつ か
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聞けば母が花のアナウンサー時代に同僚とお揃いで買ったらしい。XSサイズなので、Mサイズのわたしがいくら痩せようが、骨盤の大きさからして入らない。お金をかけてお直しに出すほどのモノでもないしと半ば諦めかけていたが、ほのかにAラインの形も愛らしく、色も印刷用語でいうキンアカでわたし好み、裏地が無いのを幸いに、ダメモトでセルフお直しを試みた。

いわゆるウエスト出しというやつ…… スカートの縫い合わせ部分(写真参照)をほどいて、つまんである布を出してもう一度縫い合わせるだけ。これで5~6センチは余裕が出る!



ミシンがあれば楽だし丁寧にできるけど、思い付きのことゆえ、手縫いでやってしまった。下手なのに返しも縫ったから時間かかったけど、なんとかはけるようになって、感激。

そして猛烈にミシンが欲しくなった。いろいろ作りたい。まともに完成するかどうかは別として、作りたい。弟の元カノはデザイナーの卵でコートまで作っちまう本格派だったが、あそこまではいかずともせめてワンピースとか……貫頭衣でいいから……。

と、そういう熱に年何回か襲われてやたら布やらビーズやら、買い込むだけ買い込んでは引き出しの装飾となっている。

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 ものいいたげな花の群れ。



水ぬるみ春雷とどろく春となったが、紅い花が灰色に見えているひともあろう。
一ヶ月はすぐ過ぎた。このぶんでは一年もあっというまだろう。気づいたら死んでいたというのは理想だがしかしいささか寂しくもある。放射能恐るるに足らず、わたしにはまだ確実に明日がある。明日をつなげてゆけばそこに未来もあろう、大切なのは希望を見つめること、できることをすること。

死におびえるより、いつ死んでも悔いないように生きること。

南船北馬(南では船、北では馬を使って移動する交通をあらわした中国の熟語)というように、中国の南は水が多く米が主食。いきおい南方の食べ物嗜好は、日本に近いものがある。

 朝ごはん。これは八宝粥(八種類の豆類が入ったあまいお粥)とヨーグルト。「ヨーグルト」は中国語だと漢字で酸っぱい牛乳と書く。

 これは白米のお粥に、肉そぼろをかけたもの。この肉そぼろ、パンにはさんで食べたりもする。あまくて美味しい。ザーツァイを足してもこりこり美味しい。

このほかやっぱりはずせないのはピータン粥で、ピータンをぶつ切りにしたものが入ってるだけのシンプルなお粥なんだけど、ピータンの癖のある味がねっとり炊かれた白米と調和して、ついついお代わりが止まらなくなる。このとろとろに濃いお粥の炊き方って日本と違うよねえ、長時間大釜で煮つめたりするんだろうか。中国には「お粥屋さん」という外食のジャンルがあるほどお粥の種類も豊富で美味なので、そのうち日本に来ないものかと期待している。胃弱の多い日本にはうってつけのような気がするんだけど、ファーストフード感覚でさあ。



 留学中もっともよく食べていたお菓子、「3+2」。その名のとおり三枚のビスケットの間に、二層のクリームが挟まっている。写真はレモンクリーム味、これとチョコレート味が大好きだった。日本人受けするさっぱりした甘味で、小腹を満たすのにちょうどいい。食費を削って韓国語やら韓国アイドルに入れ込んでた時期によくお世話になったなつかしのビスケット。



母と語らっていてしばしば忍耐を要求されるとき、それは彼女が「わたしがそうしてきたのだからお前もそうすべき」という観念にもとづいて話しているときだと最近気付いた。

まあ総じて結婚出産そのほかもろもろの生き方に関する考えについて語っているときなんだけど。自分が通ってきた道だから間違いないと自信を持って薦めてくれているのはよくわかるし、ありがたい親心なのだろうとわたしもあえて逆らわないことにしているが、先日、そんな母がぽつりと「今の時代だったらお母さんも結婚しなかったかもね」といっていたので、なんだか考えさせられた。

わたしは彼女が自分の通ってきた道そのものに疑問を抱いていなかったからこそ、わたしにも同じ道を勧めるのかと思っていたが、どうやら疑問を持たないこともなかったらしい。

「わたしたちの世代はみなそうしてきたんだから、お前もそうしなければおかしい」という不公平感、否、違和感と言い換えてもいい。シンデレラも白雪姫も「そして幸せに暮らしました」のクライマックスは綺麗な結婚式だが、その「幸せ」のなかにはDVも浮気も不倫も不妊治療も姑や隣人の問題も孤育ても老人介護も含まれていて、「だからお前もそうして幸せ(=不幸せ)にならなければいけないのだよ」という、これはもう呪いに近い。嫁姑の問題は有名だよね、わたしもいじめられたのだから、いじめてもいいはずだってやつ。

年上のとくに女性と話しているとき、こういう屈折した思いを感じることがままある。それは男性のよく考えない、それだけに薄っぺらでストレートなセクハラ発言よりも根が深く、そのぶん深刻に思える。





 姪っ子一号と二号。二号のマイブームは「つかまり立ち」。


遅れてた税関系の処理やら正月以来溜め込んだ古本整理やら、若かりしころの母のスカートのお直しやら・いろいろと有意義なことのひとつやふたつはこなせた休暇だった、古本を売ったお金の半分くらいは再び古書に化け、あとの半分は寄付することにする。

百物語や人国記、作家でいうなら小泉八雲・獅子文六あと塚本邦雄はまだまだハマってる。下男に犯された父親が母親の脳髄を食らう話はm好みだろうと紹介してやったら案の定、にやにやしながら読んでいた。そんなmを見るたびにわたしは「完膚なきまでに粧(けわ)う」という短歌を思い出すのだけれど、歌いだしがどうしても思い出せないでいる。イースターの歌だった。

書くほうも快調なのだが、しかし、まあ、日本の現状が既に一篇の物語といえなくもないというか。











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