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ゆめ か うつつ か
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物書きじゃ簡単すぎるし作家では意味が広すぎる、小説だけ書いてるわけでは無いから小説家でもない、文筆家じゃ固すぎるし「書く人」という意味ではライターという言葉がしっくりくるが横文字は使いたくないし、ここはひとつ文字を操る「文字遣い」という呼称はどうだろう。



文字って特殊なツールだなあと思う、他の芸術、音(聴覚)や絵(視覚)や料理(味覚)なんかと基本的なつくり、っていうか回路が違うんだよね、芸術が五感によって快楽を得るとすると、言語はまず脳に訴えかける…

そうだなあ、図にしてみたら

芸術→五感⇔脳
言語→脳⇔五感

って感じかな、脳と五感は共に相互作用を起こすが、その順番は異なる。

わたしがポーランド語の本を読んでも感動できないように、言語は習得的・経験的なものであって、地域によって限定されざるをえない。綺麗な絵や音、美味しい料理が誰をも感動させるのに ね。

ところでわたしが気になっているのは音や匂いや味、とりとめない流れのようなそれを言葉にとらえることは可能だろうかということだ。そうしてつらつら自分を省みるに、匂いや味ならまだ容易だろうと思う。例えば「給食に出てきたわかめごはんのしょっぱさ」「トルファンの街角でゆきずりの子供にご馳走になった蜂蜜入り氷水の仄かな甘さ」「ボルネオの屋台のエビ入りトムヤムの辛さ」と言われたらわたしはまざまざとその味を思い出す、言葉によってその記憶を開く。

こういう記憶へのアプローチ法には個人差があるだろう、どれだけ日頃それと親しんでいたのかも関わってくるし。
それで、音楽はわたしにとってあまりなじみのないものなのだと最近改めてよくわかった、オーケストラの生音を前に「なんだかきらきらした音だなあ」くらいの感想しか出てこない。もったいない。
音楽家が日々楽器を相手に練習するように、文字遣いも日々、書くことを怠ってはならない。五感も脳も修練あるのみ。


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