ゆめ か うつつ か
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明治期、巡礼僧に身をやつしタイを探検した岩本千綱というひとの旅行記を読んでいたら、偽僧侶とは知らぬタイの村人に読経を頼まれ仕方なく大津絵節を日本語で唸った、というくだりがあっておおいに笑う。
もともと念仏すなわちお経とゆうのはインドの言葉、外国語をむりやり日本語(漢語)で読み下したものなので、意味もわからずナムアミダブツだのナムミョーホウレンゲキョーだの、有り難い呪文のように唱えているひとも多かろう。
孔雀明王経とか、名前はいかにもカッコイイけど、内容は蛇に噛まれた坊さんを釈迦が祈って助けたとかいう他愛ない昔話、内容で言えばイソップ物語のほうがまだしも論理的・教訓的な気がする。
そんなことを言えばもちろん聖書だってそういった理性を超えた奇跡譚なんだけどさ。
もともと念仏すなわちお経とゆうのはインドの言葉、外国語をむりやり日本語(漢語)で読み下したものなので、意味もわからずナムアミダブツだのナムミョーホウレンゲキョーだの、有り難い呪文のように唱えているひとも多かろう。
孔雀明王経とか、名前はいかにもカッコイイけど、内容は蛇に噛まれた坊さんを釈迦が祈って助けたとかいう他愛ない昔話、内容で言えばイソップ物語のほうがまだしも論理的・教訓的な気がする。
そんなことを言えばもちろん聖書だってそういった理性を超えた奇跡譚なんだけどさ。
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