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ゆめ か うつつ か
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デュルケムの自殺論を古本屋で見つけて350円だったのでお買い得と思って買った。

この本は2005年くらいに読んでいて、その頃わたしはまだ社会学と髪の毛一本ほどの繋がりで辛うじて接していたのと、自殺ということについてわりとよく考えていたので読んだ。でもF先生には「誤読してますね」といわれた、それでとても悲しかった、その頃わたしは何を読んでも誤読していると言われていたから。

で、今もまた、読んでいる。

近代ヨーロッパにおける自殺の類型と、そこから導き出される現代社会の構造と個人の危機を書いた、ってよく書評なんかで書かれてる、そんで、「アノミー」っていう概念を使ったのが新発想だったらしい。アノミーっていうのは社会秩序が急激な変化を迎えて欲求と価値の混乱が起こるときに怒る葛藤のこと。無規律状態、イメージとしては戦時中とか戦後とか、そう坂口安吾の「白痴」「わたしは海を抱きしめていたい」的世界かな。

アノミー状態のとき 自殺はよく起こる、

今、日本の自殺が増えてるみたいに。


さて面白かったこと。

◎既婚者のアノミー的自殺は少ない、だがそれは男性に限られることで、女性にとっては既婚者の方が自殺が多いのだ。つまり結婚生活における夫婦の利害は相反している、男女どちらかが犠牲になる。

・・・これは実に納得のゆく話だった、女の幸せは結婚がすべて、と言う世のお母様たちはきっと旦那を殺しているのだろうと思う(もっともデュルケムの頃と違って今は女性も社会進出してるけどね、どうも日本には根本的な格差がなくならない気がする)。





・・・わたしがこの類型に当てはまるときが来るとしたら多分「自己本位的自殺」だろうな、mは「自殺はエゴだ」とゆっていた、mにそういうことを言わせるのはとても申し訳ないと思ったがこのテーマはわたしの根源的な問題なので避けては通れないんだ。それはmを、家族を、友達を愛していることとはまったく別のことで。

根源っていうか
死=無限(アンフィニ)、死ぬことではじまる、そういうものをゆめみている。
こういうのも東洋的な思想かな、どうかな。

でもわたしはやはり俗人なので、
そういう形而上的な死を想うのと別に、大変身体的な、心情的な理由から生を願っている、逆に言えば今mと会えなくなったら多分死ねます。。


いずれにせよ今は生きてるのが楽しいので死ぬつもりは無いです。

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