ゆめ か うつつ か
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祖母は自分の手や身体、臓器に、毎日お礼を言っているのだそうだ。「よく、こんなに永く保ってくれているね、ありがとう」。そういう発想はなかった。いかにも祖母の年代らしい、ものもちのいい昔の日本人的な心の表れだなあと感心した。服のほころびを直し継ぎをあてだいじにだいじに着るように、自分の手足や髪の毛をいたわりだいじにしている祖母は、90を越えても美しく豊かな銀髪、ピンク色の血色のいい手と爪をしている。
ものの寿命のサイクルが短く、ちょっと不都合が出たらあたらしいものを買い足してゆく、そういうふうに育ってしまったわたしたちは、別段からだに感謝することなく日々過ごしている。からだのことを考えずに生きているわたしたちのからだはきっと、そんなに永くはもってくれないだろう。そのぶんテクノロジーが発達し、髪の毛が無くなったらかつらを、手足がいうこときかなくなったら義手や義足を、というふうになっていくんだろうか。
そう考えたらちょっとこわいな、と思った。999じゃないけれど、機械の体を手に入れれば生身はいらない、そういう時代になりつつあるのかと思って。
*
『木綿以前の事』には、ある着物がぼろぼろになるまで着まわされると、つぎはぎのコタツ布団となって、そうやって何十年も前の布が残っているという話があった。
ちなみに最近、『新・木綿以前の事』という本を読んだら、戦国時代の衣服事情が記されていたのだが、そこには「おあむ」という少女が13から17まで、四年もの間、夏冬をとわず一着の麻の衣だけをまとって過ごしていたというのだから、すさまじい。
ものの寿命のサイクルが短く、ちょっと不都合が出たらあたらしいものを買い足してゆく、そういうふうに育ってしまったわたしたちは、別段からだに感謝することなく日々過ごしている。からだのことを考えずに生きているわたしたちのからだはきっと、そんなに永くはもってくれないだろう。そのぶんテクノロジーが発達し、髪の毛が無くなったらかつらを、手足がいうこときかなくなったら義手や義足を、というふうになっていくんだろうか。
そう考えたらちょっとこわいな、と思った。999じゃないけれど、機械の体を手に入れれば生身はいらない、そういう時代になりつつあるのかと思って。
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『木綿以前の事』には、ある着物がぼろぼろになるまで着まわされると、つぎはぎのコタツ布団となって、そうやって何十年も前の布が残っているという話があった。
ちなみに最近、『新・木綿以前の事』という本を読んだら、戦国時代の衣服事情が記されていたのだが、そこには「おあむ」という少女が13から17まで、四年もの間、夏冬をとわず一着の麻の衣だけをまとって過ごしていたというのだから、すさまじい。
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