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ゆめ か うつつ か
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ところでここ数日両親と弟の間でちょっとした行き違いが生じ、ポジション的に調停役にならざるを得ず非常にめんどくさい思いをしている。きっとまっとうな家では成人同士ここまでこじれることは少ないのだろう、いやうちも十分まっとうな家だとは思うけど、なんつうか、うちのひとは、愛憎が激しすぎるんだな。

すげー愛されてるんだけどその愛が重い。みたいなジレンマがたえずナイーブな弟を襲っているのであまりナイーブでないわたしがフォローにまわる、それが功を奏することもあれば火に油なこともあってわたしもけっこう無い神経をすりへらすはめになる。

とりあえず、運転中に車があとじさっているような感覚がするとか、
道路がざあっと縦になって、すべての車が下に滑り落ちていくようだとか、

そういうときはさすがに家を出ようかなと本気で考える。





わたし「金沢いきたい。美味い魚介が食いたい」
弟「カナザワってどこ?」
わたし「・・・・・・・ここが東京だとすると反対の・・・・、あ、じゃあとりあえずこの地図帳でいいや」
弟「・・・・・・『日本史資料集』ってかいてるぞ。表紙アシュラな地図帳ってぜってえねえよ!」
わたし「いいんだよ!大体の場所がわかれば!ほらここカナザワって書いてるだろ!」
弟「〔廃藩置県〕って書いてあるんだけど!ほんとにここカナザワ?今は違う場所だとかそういうことない?」

ありません。だいじょうぶです。カナザワは1868年以来ずっと同じとこにあるはずです。。ちなみにGと東北行ったときは世界単位の地図帳持ってって唖然とされた。ちゃんと後半に日本地図も入ってたもん!

いや ほら おおまかに位置関係がわかればいいときってあるでしょ??

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去年くらいから川越を再訪したくてたまらずmを誘っていたのだが、何かとタイミングが悪くて行けていなかった。狙いは絶品芋ソフト!だがしかしそうやってわたしが意気込んでいるとたいていろくなことがなく、今回も「この冬一番の冷え込み」の前に、ソフトクリームは断念。。

まずは博物館で川越の街の成り立ちを見たり、庭の水琴窟を奏でたり(ひしゃくで水をすくいあげて石にかけると、その下に作られた甕の水が音を出すようになっている)。この水琴の音はぴんぽろんとあえかな音色でいともゆかしいはずなのだが、わたしは水をかけすぎて、ぽんぽんぽんぽんぽったらぽん・と大変愉快な音になってしまった。・・・・・いっぱい水をかけたら、いっぱいキレイな音が聞けると思ったんだ。

氷川神社を散策して、メインストリートへ。
どうでもいいけど市役所前の太田道灌の像は、手に持った矢が尻に刺さっているように見えてしょうがない。

   

蔵の街川越を表すオブジェの数々。郵便局の看板も立派な一枚板!この目抜き通りはさすがに小江戸の名に恥じぬ風情があって、外国人も多かった。

 入るのに躊躇してしまいそうな埼玉りそな銀行。奥に見える看板は別ものではなく、このレトロ建築から生えている。すごいな、いいなこの銀行。

 祭り会館前のカフェにて。久々の川越は、ステキなカフェがたくさん出来ていた。

帰りにスーパー銭湯「ざぶ~んの湯」(*五分に一度、銭湯内に設置された大樽から盛大に滝が流れ落ちるエンターテイメントな湯)に寄って、帰った。


 近場なのでもっと訪れていてよさそうなのだけど、数えるほどしか行ったことない富士美術館。そういえば常設展示観た事ないや、と思って来訪。東京西郊の山間部なので先日の雪がまだそこかしこに残ってて、そうとう冷える!

展示内容は、西洋絵画のボリュームがおおいけど、日本美術も武具から浮世絵まで幅広くカバーされていてなかなか見ごたえがあった。エルンストの「青の旭日」だったかな、色がすごいすき!!

絵画の歴史と題してカメラとのかかわりを追った特設展示の年表が丁寧。ダ・ビンチの直筆メモとか、わー本で読んだとおりだ鏡文字で書いてるゥ!って思って感激。。西洋絵画はカメラと出会ったことによりその芸術的意義をより深めることになったわけだけど(例えば写実性など、技術という点でカメラに勝る絵描きはいない)、カメラを敵視する者、うまく使って自分の芸の肥やしにするもの・・・・・・画家の苦心が伺える。
カメラ・ルシーダ(明るい部屋)って、バルトの書物のタイトルだったといまさらながら思い出した。

西洋のあと日本美術をまわったのだけど、なんていうか、美術・芸術のあり方が根底から西洋とは違うんだなあというのが見えて面白かった。まず日本美術には生活用品とか実用品が多い、ってことは、西洋の肖像画や彫像に見られるような「永遠」への意識、「残す」発想とは逆で、美しくてもそれは消費される消耗品だということ。浮世絵とか版画もそうだよね、人気の役者絵は飛ぶように売れるが、そのうちすぐ次の人気役者がでてくる。「似せる」ことではなく、絵全体の趣向、工夫がよろこばれる。漫画やアニメもそうだけど、二次元ものの流行、あれは残すものではなくて流れていくもの、常に刷新されゆくものという意識が見える。常に流れたゆとうもののなかで変わらぬもの、それこそは技術であることを考えると、日本人は芸術よりもカメラの発展のほうを喜ぶのかもしれない。などと勝手に考えた。


 スイーツてんこもり!お茶つきで1000円!アイスクリーム&麩菓子の組み合わせがなんとも絶妙だった。ここだけでもリピしたくなってしまうなあ。


*番外

 「劉備イケメン」という名の絵葉書。

かつてここでおこなったらしい大三国志展の絵葉書がずらりと並んでいたのはよいが なんというかその みな美しすぎて・・・・・・・・・・・・・ていうか「貂蝉イケメン」はおかしくないですか?「イケメン」は「イケてるお面」ではなく「イケてるメンズ」の略だと思ってたんだけど・・・・・・・・・・。。

サリンジャーが亡くなった!!
びっくりした!!!



『薔薇密室』 皆川博子

名前が気に入ったから借りたんだけど、それにしてもわたしはわりとこの人の作品を読んでいるので、そろそろ別に項目立てたほうがいいのかなあと思い出した。でも項目作ると作品全部網羅したくなっちゃうんだよね。そこまでではない。
〔物語〕
①第一次大戦中、元僧院にて脱走兵コンラートと、博士の薔薇と人間の融合実験物語(男娼ヨリンゲルと、落馬してオーディンと名づけられた美貌の少尉)、梅毒の実験記録書『ヴィーナスの病~』という手記
②第二次大戦中のポーランド、少女ミルカと年を取らない少年ユーリクの物語。ナチス支配が深まるなか、二人は別れ別れになりミルカはドイツ人撮影技師ナタニエルのもとへ、ユーリクは薔薇の僧院へ。

別々の場所で、ヴィーナス~の本が、異なる人物を繋げる推理もの。ガス発生装置のトリックは申し訳程度だが人物相関の謎がソソる。ナタニエルがキーパーソンのくせに、何を考えてるか全然わかんなくてちょっと魅力不足かな。ラストのほうはけっこう筋がよめてしまうけれども、視覚的に読むといいんじゃないかな、耽美的で。



『分別と多感』 ジェイン・オースティン

岩波文庫のものをば。相当以前、知人に『高慢と偏見』をオススメされたが手に取ったことは無かったのを思い出してとりあえずその横にあった同じ作者の別の作品を(あまんじゃく)。
〔あらすじ〕分別の勝った姉エリナーと情熱的な妹マリアンのそれぞれの恋。姉は控えめなエドワードと、妹は自分に想いを寄せ穏やかで誠実な大佐を嫌い、美貌のウィロビーに恋するが……?
〔感想〕最後まで恋模様がどうなるのかわからないんだけど、全てがお約束的な大団円というわけでもなく……ひとことでいって、とても、リアル。人間観察が鋭くて、とくに、嫌な人間のタイプがやけに詳しい。いるいるこういうやな人間!と思う。あと、どっちかとゆうと多感に針がふれている私としては、エリナーの鉄の分別にただただスゲー!ってかんじ。なんつうか、道徳書読んでるみたいな気分になった。こころただしくおこないきよく、でしゃばらず、なにごとも控えめな人間が最後に笑うのよ、みたいな。紙のごとく軽薄であれとはゆわないが、なんかもっと・・・・・・ちょうどよい人物はおらんのか!ってかんじ。笑。



『誘拐』 G・マルケス

1990年頃のコロンビアで起きた連続ジャーナリスト誘拐事件のルポ。
半ばすぎまで読んで、そもそも何を狙った誘拐なのか、当時のコロンビアの国政や主要人物がようやく頭に入った。自然、ページにかける集中力も相当必要で、読むのに体力が無いと辛いなあと思った。

パブロ・エスコバル(コロンビアの麻薬組織のボス)
VS
ガビリアコロンビア大統領

となるはずの図式が、大統領がエスコバルの減刑要求をのまず、攻撃的な捜査をしたために、コロンビアの国民感情に影響の高いジャーナリストを次々誘拐した、その人質の家族が、エスコバルの要求と大統領の間をとりもち、人質が解放されるまでの話。

主眼となってレポートされたのは政治家ビヤミサルの妻、マルーハ・パチョンと、ビヤミサルの妹ベアトリスの誘拐(このふたりは生きたまま解放される)で、他重要人物は前大統領の娘でテレビプロデューサーのディアナとそのグループ、新聞記者のパチョなど。どうでもいいけどこのあたり、身内びいきの特権階級が築き上げられているのはいかにも南米らしい と訳者もゆっていたが、やっぱ少しきになった。

いちはやく犠牲となって殺されたマリーナの狂気のさまや気高い死に顔、解放時に味方によって射殺されたディアナを悼む母親のくだりは、涙無しには読めない。そして人質の家族がはかりしれない忍耐と努力で大統領に説得をこころみる間に、エスコバルとの奇妙な信頼関係が生まれていくあたりは興味深かった。エスコバルが人質の解放にひきかえ、自分の身柄を引き渡すシーンで、ビヤミサルと話すシーンは圧巻。それだけに、その後エスコバルのたどった運命(脱走、無駄に終わった助命嘆願、射殺)が哀しかった。

犯人への交渉には、自分と犯人の間に、双方の信頼を得ている第三者を立てるとよいこと。

マルーハとベアトリスの監禁は規則ずくめで辛そうだったな。小声でしゃべることを強制されていたために、その癖が解放後もなかなか抜けなかったらしい。いっそコミカルに思えたのは、監禁している見張りの人々の描写だった。クリスマスのケーキを用意したり、プレゼントを持ってきたり。彼女たちの世話をしていた夫婦の妻ダマリスときたら、覆面にミニスカートという出で立ちでいつも食事を運んでくるのだから。

タイトルは、ビヤミサルとマルーハの夫婦関係についての至言。





メモとっといたのはそんくらいかな、あとブルトンの黒いユーモア選集とかマンディアルグの短編集(「ダイアモンド」目当てに買ったんだけど「石の女」ってのが面白くてよかったよファムファタール)とか遠藤周作を何点か読んだ、エッセーとか含めて。やっぱ海と毒薬がすき。深い河はそうでもない。漫画はすぎうらひなこさんとかつげ義春集めたりとかmに薦められて読んだ『かぶく者』が存外面白くて歌舞伎に目覚めそうだとかそんくれえ。恋四郎さまがキャラクターとしてよすぎる。『軍鶏』かいた人だったんだね、びっくりした!

 

風呂釜が壊れたので、車でひとっぱしり、温泉へ。
銭湯 ではなく 温泉 であるところがローカルなことこのうえないかんじ。





親父に「砂漠が見たいんだけど、ここらへんで一番近い砂漠ってどこかな。やっぱ鳥取かな」と尋ねたら、「大島にあるぞ」と言われた。ええうそぉそんなの聞いたこともねえよ、大島にあるのは火山であって砂漠ではないよ、うんまあ近いけどぉ、などと思いつつも親父の立場を尊重して「そうかもしれないよネ」と適当にあしらっていたら、「ほんとだぞ」と憤慨しはじめたので調べてみた。

 ほんとにあった!!!親父・・・・・・疑ってごめんよ!

と いうか、改めて、砂漠にはいろんなタイプがあるのだということを思い出した。
日本人がぱっと思い浮かべるのは「月の砂漠をはるばると」的な、アラビアンナイト的な、さらさらしたタイプのものだけど、ごつごつした石やひび割れた土が主体の、「礫砂漠」っていうのもあるんだよね。。この三原山の砂漠は溶岩の流れた後が荒野になったタイプだから、たぶんこの「礫砂漠」の方。

わたしの行きたい砂漠はさらさらしたタイプの砂漠なんだけど、でもまあ、荒野もけっこう好きだぜ。いやしかし、東京都内に砂漠があるとは思ってなかった。

ちなみにmに「砂漠に行きたい」って言ったら「うちの近くにもあるよ。公園の中に。おいでよ」って言われた。
それ、砂場だから!

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