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ゆめ か うつつ か
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贈答用にセシウム牛が出荷された云々の、食の安全に関する話題は専ら放射能が主役だが、しかしまあ当然予想されていたことではある。

ところで牛肉は旨いかと問われれば、旨い牛肉を食ったことのない哀しさ、あやふやに首を傾げるしかない自分が居る。

そもそも肉はあまり好きなわけでもない。今まで食った肉でいちばん旨かったのは東南アジアで放し飼いにされていた鶏肉だった。オートメーション化された食肉産業のただなかでは血の滴るように新鮮な肉など夢のまた夢、せいぜい冷凍肉のハンバーグをありがたがっていただくのが精一杯だ。自分で絞め、或いは屠った肉を喰らったことなど生涯ただの一度もなく、自ら手を汚さずにわたしは誰かが手を下してくれた肉を食っている。肉が苦手なのはその後ろめたさでもあろうか。

人間が摂取するににあたり栄養価的に最も適した肉は同類の人肉であるともいう。自らの手を汚さず、自らはけして損なわず、さて人間はどこまで他に罪と罰を押し付けていけるだろう。


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「食うことのやみくもな欲望」とベンヤミンのことばを種村スエヒロ氏が引用し、ひとつのものを徹底的に食らうことの快楽を説いていて、まことに我が意を得たのであった。

そもそもわたしの親父というのがグルメ(美食、食道楽)とは一線を画した大食漢(グルトンヌ)で、一食に米二合味噌汁三杯は当たり前、五十路近くなって通風を発するまではステーキの二枚や三枚平気で平らげるといった暴力的食欲を誇る人間で、その血をひいたかわたしもとにかく飯は詰め込み詰め込み、胃の膨張感を感じるまででないと満足できないという万年欠食淑女となってしまった。

幸いにして親父からは大食だけでなく代謝のよさも受け継いだらしく、どうにか肥満とは無縁でこれまでやってきたが、用心のため最近はずいぶん食事量を控えめにしている(それでもわたしよりもずっと若いmの倍以上は食っているが)。

これは食ったな、という思い出。

北京、友人宅で三種の餃子パーティー。
モンゴルのジンギスカン攻め。
札幌の食い倒れラーメン&スイーツ。
上田の行き着け蕎麦屋で大盛り+てんぷら。
長野のアスパラバイキング。
吉祥寺のケーキバイキング。
台湾で飲茶。
マレーシアの屋台サテー(ピーナツだれの焼き鳥)。

etc・・・・・・・・・・・・・・・・・・・









うだるような暑さに寝付かれずベッドの上で本を捲っていた夜半、さらさらと雨の音が聞こえ、やがて激しい閃光、轟く稲妻の音。紫いろの光が部屋を縁取りそして消える。

勢いを増した雨は屋根を壁を、叩き壊さんばかりに弾く。天気に銀行があって好きなときに引き出せるならこうもあろうか、夕立の一滴も降らなかったこの一週間の雨水を、貯めに貯めて繰越したみたいに。

この世の終わりもしくは始まり、明日の朝起きたら旧約聖書の世界よろしく大洪水になっているんじゃあるまいか、と夢想しながら眠りに落ちた。




甘い匂いに絡めとられた川沿いの路に、白百合に囲まれた建物があった。

 

金色の花粉がふりこぼれて、大風の前触れの不穏な空気に溶けていた。

あの雨、あの風に、もう跡形もないだろう。



祖母は病院を出たくないと言う。

誰の足音もしない、しんと冷たい施設の空気よりも、消毒液がつんと匂う病室がよい、病気ならば皆がたえず見舞いにきてくれるから寂しくない、帰りたくないと泣きそうになりながら言う。

「ここに寂しさと悲しさがたくさん、たくさん詰まっているの」と、胸を押さえる祖母に何もできず、ただひとかけらずつ氷を含ませながら、逆縁という言葉についてわたしは考えていた。


ああそれにしても近親憎悪って聖書以来永遠不変のテーマだわ。誰しもいちばん赦せないのは身内なんだね。愛してるからこその甘え。

(いちばん赦せないのは自分だけだ。この世で最も憎い、最も殺したいのは自分だけ)


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