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姪っ子のAが二歳になり、今現在姉の腹に居る第二子についてもその存在を理解しているようで、誰かれ構わずお腹を指しては
「おなか、あかちゃん、いる??」
などと尋ねている。そこでわたしがAのお腹を指して、
「Aちゃんはー、おなか、赤ちゃん居るの??」
と尋ねてやると、嬉しそうに笑いながら
「いなーい!」
と言う。幼児ながら、なんとなく事情がわかっているらしいと思うと、ちょっと面白い。
これがもう少し大きくなったら「赤ちゃんってどうやってできるの?」とか質問しだして困るんだろーなー。
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山岸涼子の漫画に、「子どもなんてぞっとする ああもなりたくなかった こうもなりたくなかったという自分の成長をもう一度見せつけられるのよ」みたいな台詞があって、怖いことを言うなあと思った。
わたしには、小さい頃から今に至るまで苦しんでいる、そのために一度ならず「死んじゃおうかなー」と考えたことのある持病があって、これは遺伝的に受け継がれてゆく可能性が高いそうだ。なのでわたしは十代のころから「自分は出産することはたぶんないんだろうなあ」と漠然と思っている、これは決意っていうよりもっと曖昧な、なんていうか「呪い」のようなものなのだけれども。
子どもを産んだらね、その子ども自身が「呪い」そのもののような。そんなわけないけど、そういうふうに考えてしまうんだ、その考えから逃れられないんだな。おお、「呪い」っぽい。
まあ、いずれにせよ子どもは親のものではないし、おぎゃあとこの世に生まれちまったなら、それ以降の苦しみも悲しみも、全て子どものものだ。
わたしだってそうだった。