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このひとの小説は総じて少女小説のあまったるさよりも、落ち着いた幻想的なもののほうが好きかも。
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『黒薔薇』くろしょうび。
吉屋信子の文章はもどかしい。じれったい。そこがいい。
美しい人を慕った罪で女学校を追い出された教師章子と美貌の生徒和子。
章子の性格がよい。周囲がまだまだ男性優位の世界であれだけ頭を昂然ともたげていたらかっこよいだろなあ。口調がいきなりべらんめえになるのも、かっとなるとこも魅力的。和子が控えめすぎてちょっとものたりないくらい。最後も謎だし。触れるか触れないか……の距離感。
しかしあたしがこの時代に女として生まれていたら早々に神経を病む。
「鉛筆」
フランス語のレッスンに通う生徒同士、鉛筆の貸し借りだけの仄かな交流。うつくしー。
「童貞女昇天」
童貞女=びるぜん。長崎、隠れキリシタンの遺児で、生れたときから山の中でびるぜん尼として育てられヒトとの交わりを絶っていた女の昇天。
ペーシュカ(犬)とか、紅蜥蜴と沢とかそういう描写がとても細やかで美しい。遊郭から逃げてきた若い女をあんじょ(天使)と勘違いして、昇天をねがい焼け死ぬ。せつなくきれい。
「茶碗」
競輪に身を滅ぼした男が、盗みを働こうとして茶の師匠であった祖母の幻覚を視る。
「おうなの幻想」
国木田独歩の「号外」、戦争に生きがいを感じていた男の話から、疎開中に知り合った老女の幻想。
悲しい話が大好きだった老女に丁汝昌(日清戦争の際、自分は自決して部下の命を救うよう言った清の将軍)の話をする。敗戦後、老女は天皇が自殺して日本国民の命を救ったように妄想し亡くなる。
戦争の恐怖はあれど、「――けれども、それにしても年月というものは不思議なもので、あれほどいやだった戦争中の思い出にしても一つや二つ、その頃の人間の生き方や気持の上で、なにか忘れえぬものが――(もう二度とお互あんな気持にはなれない)とか(あんなにひたむきに考えていた人もいたのに……)とか、また、それこそ人情紙の如く薄くなったあのとげとげしい利己的な考え方―今もその名残をとどめてはいるが、その中であたたかさをうしなわなかった人とかを、十年もの月日を間にして、やはりなつかしいような、悲しいような……
「鬼火」
ガス集金人、落ちぶれた病人の妻に、金の代わりにその身をよこせと脅迫。次の日、ごうごうとガスの青い火が燃える家の中に病死人と首を吊った女の姿。哀れな話だがガスの青い炎を鬼火と表すところがおもしろい。
「鶴」
女あんまの生い立ち語り。父親は類稀なあんま師であり、九州で働いているときに山に迷い込み鶴を助けて三ヶ月行方不明になっていたが、それ以来人の体が透けて見えるようになり、治療師となった。
戦争で父をなくし、代わりに長野の林檎農家の男を救い、彼を鶴の生まれ変わりと信じる。
女の一途さ、一抹の哀しさ。
「もう一人のわたし」
自分は実は双子であった―少女は死んだ姉の幻想を視る。結婚式の夜、浜まで姉を追いかけてゆくと、姉はいつのまにか自分と摩り替わり……という幻想。