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ゆめ か うつつ か
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「触れちゃいけないもの」「隔てられたもの」に近づいてしまうのは昔からの習性で、安っぽい恐怖映画のヒロインみたいに、自ら、開けてはいけない扉を片端から開けている。

「隔てられ」「離された」。それは階級の隔たりであったり年齢の隔たりだったりする。

例えばZooの話で書いたみたいな、異国の貧しい人々や、介護体験で会った末期患者の外山さん、名古屋駅で会ったホームレスのヌシさん、そして今回の小学生たち。

彼らにすればわたしは「旅人」で、「誰でもないもの」だから、だからみんな 気兼ねなく話せるんだと思う。一時しかその場に滞在しないから。内情を知らないから。人生相談は赤の他人にするべきだし、懺悔は常にかおかたち・名前・身分の一切を隠して行なわれる。

日常、暮らしてるとそういった名前や顔や社会的身分ごとの、壁で囲われた世界がとても息苦しくて、それというのも私は特に、そういう隔たりに疎いから。鈍いから。
幼い頃、「◎◎ちゃんと遊んじゃいけません」って 大人たちの、そういった禁止の意味がわかんなかった、今でもわかっていない、こことあそことどれだけ離れて居るのか測れない。

そういう生き方は無防備すぎるといつもお叱りを受けるのだけど、あいかわらず何が悪いのかよくわかっていないのです。わかってるのは、人間がそういう記号(名前や顔や社会身分)だけで生きているのではないということ。

映画の中で不合理な行動をとるヒロインみたいに、きゃあああと悲鳴をあげても誰も助けてはくれないんだけどね。

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