忍者ブログ
ゆめ か うつつ か
[120]  [121]  [122]  [123]  [124]  [125]  [126]  [127]  [128]  [129]  [130
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

熱いフライパンのように焼け焦げた真昼の九段下をうろうろしていたら、ユメマボロシのように視界を掠めた塔があった。アスファルトからたちのぼるかげろうかとも思ったが、ビルの間から頑張って探してみたら、古い貯水槽(?)と判明。

 これ。林立するビルの隙間からちらりと見えたとき、一瞬、ラプンツェルが閉じ込められている魔女の塔を幻視したのかと思った。

東京都心も、切り取り次第でいろんな表情があるなあ。





ところで九段下になにしにいったかと言うと、お昼休みついでにその辺りにあるはずのイタリア文化会館へ遊びに行ったのだった、大使館付属の文化施設だと聞いてたので散歩がてらに。しかし平日の真夏の盛りなんて出歩くもんじゃない、会館もひっそりして全然活気が無かったし。時間が無くてゆっくりもできなかったので、悔しまぎれに備え付けの浄水器の水を頂いて帰ってきた(しょぼい)。


PR
お隣におかしな人たちが集団で越してきて、一週間経った。

新しいお隣さんは少なくとも二十人程は居ただろうか、大半はぼくのパパくらいの年頃のおじさんで、それに何人か女のひとも居た。お隣はそんなに広い家ではなかったし、奇妙なことに彼らには誰も決まった勤めが無いようで、いつも交代で庭をぶらぶらしているか屋根で日光浴しているか、その誰もがギラギラと異様な熱心さでうちを覗いてくるので、薄気味悪いことこの上なかった。いつもおっとりと物静かなお姉ちゃんも、「何だか気持ちのわるい人たちね」などと肩をすくめたほどだ。





庭越しにうろうろしているお隣さんの、できるだけ優しそうなおばさんを選んで話しかけてみた。「お隣さんこんにちは!何をしているの?」その人は雷に打たれたようにびくりとして、それからひきつったような声で言った。「わたしたち、お掃除をしに来ているの」「掃除?どこの?」女のひとは振り返りもせず走り去った。ママにこのことを言うと、かおいろを変えて怒っていた。ぼくはいけないことをしたようだった。





『ぼくたちはお隣に監視されている』、と気づくまで、それから3日もかからなかった。ただでさえ病弱で家にこもりがちなお姉ちゃんはお隣の無言の暴力に怯えて一歩も外に出なくなってしまった。パパとママは不機嫌そうにいらいらしているばかりだ。ぼくはどうしていいかわからない。





今日ついにパパがお姉ちゃんをバスルームに閉じ込めた。ママは「もう耐えられない」とお隣に乗り込んでいき、それから帰って来ない。みんなお隣さんのせいだ、とぼくは思う。あいつら、悪魔に喰われっちまえばいいのに。





その夜はパパが一緒に寝てくれた。ぼくは不安でなかなか寝付けず、とろとろと浅い眠りを繰り返した。この世のものとも思えない悲鳴が闇をつんざいたのはそのときだ。ぼくは恐ろしさのあまりぎゅっと目を瞑っていたが、ものすごい力で布団をはがされ、頭から水をかぶせられたので、眠ったふりもできずにおそるおそるめをあけた。そこにはやたら厳かに着飾ったお隣さんたちがいた。「おい、このこは人間だぞ」とぼくに水をかけたとおぼしきおじさんが水差しを片手に言った。「かわいそうに、ずっと悪魔に囚われていたんだね」。

ぼくの隣には枯れ枝のように奇妙にまがりくねった猿のような動物の死体が、バスルームには針金のような毛がもじゃもじゃに生えた真っ黒な怪物が転がっていた。それはどうやらぼくのパパとお姉ちゃんらしかった。

お隣さんはぼくのことを救ってやったと思っているらしく、ぼくから感謝の言葉すら引き出そうとしたが、ぼくはただ悲しかった、どうしてパパとお姉ちゃん(そしてママも)を殺したんだ、何もわるいことをしていないのに。ぼくらは楽しくやっていたのに、どうしてこんなことになったんだ。そう思って、ただ、泣き続けた。





・・・・・・・・悲しい夢だった。



大判のせんべいに、自分でシロップで絵や文字を描いて、そこに五色の砂糖を振りかけてくれるというもの。

 出来上がり。せんべいが薄っぺらい麩のような味わいで、そこに砂糖の甘みがほんのり乗って、けして美味ではないけれどなつかしい味。

九つくらいのとき、車で父と弟とどこかへ向かう途中お祭りに行きあい、小銭を渡され三十分ばかり放逐された。もしかして母もいたかもしれないが、母が居たらそのくらいのとしごろのこどもを知らない場所でひとりで歩かせることはしないだろうから、多分親父だけだったはずだ。

そこで、初めて「おえかきせんべい」を食べた。

・・・・それだけのことなのだが、何が印象に残っているかって、そのときわたしが覚えたてのローマ字で名前を書いた、そのつづりが思いっきり間違っていたのだった。お店のおにいさんは変な顔をしていたが、わたしはローマ字が書けるんだぜえっへん、くらいの気持ちで父と再会し、間違いを指摘され、いたく恥ずかしく思った、ゆえに覚えている。バカだった。

この出店はあんずあめややきそばやカキ氷などとは違ってちょっと珍しく、普段のお祭りでもなかなか見かけることがない。今回も通りすがりに夏祭りを冷やかしていたら偶然見つけたのだが、別に熱いものや冷たいものを扱うわけでなし、絵を描くのだってセルフサービスで、ただせんべいと砂糖とシロップを並べておけばよいのだから、屋台の商いのなかではラクなほうだろう。もっと見かけてもよさそうなものだが、そうそう見ないというのはつまり、あまり流行らないのだろう。わたしとしては、色つき砂糖の身体に悪そうなキッチュさがなんともいえず好きなんだけどなあ。













 福引につられ、また買ってしまった。まあS社の推理文庫は以前から集めていたし、『妖怪の民俗学』は神保町でもっと薄汚れたやつを買おうかどうか迷ってたとこだし、ババヤガーの絵本は絵がステキだったし。

これで福引に当たってたら言うこと無いけどな!





福引の裏方をやったことがあるという姉いわく、当たりは初日~中日まで入れておかないのだそうだ。最初のほうで一等が出てしまったら客寄せの意味がないからだという。狙うは最終日の終了間際、そのあたりではどんどん出るという。

理屈はわかるけどさ、それって、インチキじゃん!

と 憤慨していたら、mに「そういう工作って常識だよ・・・・」と哀れまれた。

工作なしで生きてます!(=コドモです!)














よく行く古本屋の二階でたまに著者のサイン入り本特集をしているのだが、今日はそこに中井英夫の署名入り本が並んでいた。

その署名がなかなか素敵なしろもので、よくありがちなデザイン性を重視しすぎて判読不能なものでなく、実にあっさりのびのびと楷書で書かれている。それに色が良い。サインする側の配慮かされる側の機転か、焦茶色の扉ページに太い銀色のマジックペンという絶妙な色みには、感服。

ああいいなあ、ちょっと欲しいなあ、と思ったものの、やはりそれなりのお値段なので諦めた。その本の短編、違うバージョンで持ってるし(ありがちな罠)。

人は死して名を残すと言うけど、具体的に残ってる名前にはなかなかお目にかかれないよな、と、署名をなでなでして古本屋を辞した。ちょっと未練。死んだひとにはもうサインしてもらえないからねえ。当たり前だけど。

ちなみに、先年亡くなった種村季弘氏のサイン入り本もところせましと並んでいたが、この方のサインはわたしも持っている。高校のころわざわざ氏の講義を聞きに行きサインをもらった『吸血鬼幻想』、あれも少しは価値が出ているのかなあ、種村氏は何せ長生きしたし教授をしていたから、サイン本もわりと残っていそう。


カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ryu
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ [PR]