[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
*
年越し蕎麦とおせち。
手前が蕎麦なんだけど親父盛りすぎ!ムリして全部食ったら「おお、お前よく食べられたなあ!」と感心された。アナタが盛ったんでしょーが!
そこに、イタリアのスイーツ特集を見ていた母が「甘いもの食べたい……」と言い出し、満腹状態で徒歩30秒のファミレスへ行きスイーツを食べることに。
二品とも私の前に置かれたのは何故だろう……
イチゴパフェを瞬く間に平らげた母は、レストランを出ると「大晦日だもの ルナティックになることもあるわよね」と満足げに言ったので何かおかしくなった。月光の魔に中てられても、せいぜいパフェを食べたくなるくらいならかわいいものではないですか。
*
大晦日から元旦にかけてはかねてから画策していた通り、mと初詣に行く約束をしていたので11時半に落ち合って、比較的近場の大師に参ることに。そのせつはGの協力を大いに得られたので助かった。Gにはほんとにいつも援けられてるので感謝感謝。
私もmも、実に生まれて初めて元旦に初詣とやらを敢行するので勝手がよく分からなかったが、まあとにかく行ってお参りしてみくじでも引けばよろしかろうと。
イエイ大吉!
調子にのって屋台のじゃんけんチョコバナナに挑戦。もちろん勝って、二本ゲットする。ほんとに負けたことないなコレは・・・・。しかし大喜びで食べてる最中、道路にまるごと落とす。
m「いいオチだ」
うるさいやい!
*
その後、姉の家のキャットシッターに。
眼が怖い!
*
さらに調子づいた我々は初売りなんてものにまで顔を出し、しこたま買い込んで帰宅したのであった。
有無。心の底から日本人を実践した気がする!
おせちを作る母の手伝いやら、掃除も大詰めの親父の手伝いやら、伊豆に行っている姉夫婦の家の猫の世話やら、mの家に海産物のおすそ分けをいただきに行ったりやらしなければならないのだがそんなときでもふいにぽっかりと時間が空くもので、昨日買った西岡兄妹や諸星大二郎やら浅井了意なんかを手に取りつつ そういや藪日記に今年最後のご挨拶に行かねばなあと思ってちょっと顔出しに(長い)。
ご挨拶っていうのは、こんな辺境を閲覧してくれている方々に対してはもとより、わたしから藪日記へのご挨拶・ね。
今年もお世話になりました。わたしにはこの美しく乾いた日々を吐き出していくほんのささやかなスペースさえあればそれでじゅうぶん生きていけるので、あなた(日記)の存在に救われました。
とか。感謝してみる。
今年は生活及び精神的な環境が激変につぐ激変だったにもかかわらず、わりあいすんなりと受け入れることができたように思う。高校一年生のときの心境がこんなかんじだった、「煮るなり焼くなり刻むなり、どうとでもしてくれ!」みたいな。
むしろ、そんな状態にも関わらず人間は恋ができるということの方が信じがたいな。いまだにどうにも信じられなくなることがある、このわたしに、他人をここまで求めることができるということが。ミラクルだ。
不況だろうが株安だろうが地震だろうが空爆だろうがやっぱり世界は美しいと思ってるよ。
12月の物語はぶっちゃけ10編ほど候補があって、でもどれもこの連作の最後に入れるはいまひとつでう、ーんどうしよっかな と思ってたら先ほど「百歳の美女」という単語が降ってきてあれよあれよと10分かからずに出来てしまった。いつのまにか冬至もクリスマスも過ぎてしまっていたのでなんとなくね。
永遠に12月って、やるせなくてよいではないの。
31日にギリギリ更新。わたしらしくてよいかな。
いろいろ思いついてることはあるので、また来年ものらくら更新してゆきます。
ところで秋頃に某省庁に就職を決めたAちゃんの修論が出来たと言う報告を受けたので、チェック&アドバイスに行ってきた。。「私にできることは応援するよ!」と大見得を切ったその直後から今の今まで色ボケし続けており正直自分に研究論文など読めるのかどうかいささか心配だったけど、一応ちゃんとそれらしく意見することはできたんでねーかと思う。Aちゃんとは研究分野も被ってるしね!これで何もかも忘れ果てていたら、私のマスター生活二年間がまさに空虚以外のなにものでも無いことの証明になってしまう、とか少し怯えていたので。
Aちゃんはそこそこ自由に生きているわりに人生の正道を外さない人=賢い人なので、政治とかメディアとか社会情勢とかそういう話もいろいろ語れて、気付いたら7時間くらい経過しててびっくりした。
で。
Aちゃんは最近某大手サーバーのニュースページのコメント欄を見るのにハマっているらしい。
私も何度か目にしたけれども、あまりの内容のデタラメさに、そういうお遊びなのかと思っていた。そんで え まさか あれを本気で読んだり書き込んだりしてる人って居るの?って目が点になってしまった(もちろんAちゃんは『内容の無軌道ぶり』を嘲笑するのが愉しいらしいが)。
そもそも私は政治やら社会やらに口を出せるほどの人間では無いと自覚してるのであえてそういう事柄を語らないようにしているのだけど、ただこれだけは主張しておきたい。いかなるテーマを語るにしても、『署名の無い意見は意見ですらないただのたわごと』。
もしも他者を批判するならなおさらに、自分がどういう存在か、を明記しなければ言責が保証されない。意味が無い。だから、匿名性&反復性の高いネットで交わされる論争のほとんどは無意味、寝言、あぶくのようなものだと思っている。
論争っつうのは生身で、空気をふるわせて 表情で声で身振りで交わすもの なんだぜ。
あと 私はクリックで手に入る情報は基本的に信じていない。
足と目と脳で稼いだアナログな知識に優るものはない、それにしても100パーセント信用できるわけじゃないってこと。
その部屋の扉には比較的新しいブリーフが貼り付けられており、初めてそこを通る人は大概足を止め不審或いは疑念の目でそのブリーフをしげしげと眺めるのだった。そうしてこの比較的新しい(真新しくないところがまた絶妙なのだが、)ブリーフに掠れたマジックで「吉田」と書いてあるのを発見し、これがいわゆる表札代わりであることを認識すると笑いながら去ってゆく。
稀に、こんなところにこんなものを貼るなどけしからんと言う人間も居たが、実のところ、そんなまっとうな人がこのアパートに訪れることは少なかったのである。
ところで私が実際にその部屋の住人を見たのは引っ越して半年くらい経った頃だった。しかもそれとは気付かずに、私は彼と毎朝会っていたのである。と 言うのも、私が会社に行く途中にいつもすれ違う「ジョギングのカネコくん」が、ブリーフ吉田の正体だったのだ。
「カネコくん」は物腰の柔らかな童顔の青年で、何の仕事をしているのかは知らないがいつも朝早くからジャージ姿で近所をジョギングしており、すれ違う時には必ず「おはようございます」と挨拶してくれる、実に感じのよい人だった。ゆえにブリーフ部屋から出てくるカネコくんを見たとき、私はにわかには信じられなかった。
「カネコくん?」
「はい」
「吉田さん?」
「はい」
……私は彼が周囲からカネコくんと呼ばれているのを見て勝手に「金子くん」なのだと思いこんでいたのだが。
「ぼくの本名は吉田カネコというんですよ、兼子と書いてカネコ」
新生児のうちに亡くなった姉の名前をそのまま流用されたんですけどね、と、青年はさらりと答えた。
「それは……、それで良いんですか、あなたは」
「いやあ、まあ、よかないですけどね」
彼の平然とした口調、『それが何か問題でも?』と言いたげな面持ちに、私はようやく貼り付けられたブリーフのことを思い出した。
「ああ、あれは」
カネコくんはけろりと答えた。
「いたずら好きな友人が勝手に書いて貼っていったんですよ」
……あまりに何でもないことのように言うので、私はつい納得してしまうところであった。
「……剥がそうとは思わないんですか?」
「いやあ……、まあ、思わないこともないですけどね」
「……」
私は恐る恐る、最後の質問をした。
「カネコくん、じゃ、その、あなたは何でいつもジャージを来ているんですか?」
「え?だって めんどくさい でしょう」
ぼくニートなんで、ちゃんとした格好しなくても大丈夫なんです と、にこやかな笑顔で言うと、カネコくんは会釈をしてブリーフの貼り付けられた自室へと戻って行った。
*
それから彼がどうしているかと言うと、相変わらずブリーフは扉に貼り付けられたままだし、ニートのまま毎日をジャージで過ごしているし、朝には「おはようございます」と声をかけてくれている。
彼の人生は「めんどくさい」という一言に集約されたものであり、私はそこで彼に対して失望しても良かった。
失望しても良かったのだが、しかし私は、不安や不如意や不面目をものともせずに生きている彼を少し……、いやかなり 羨ましい とすら思ったのでここに記す。