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ゆめ か うつつ か
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その部屋の扉には比較的新しいブリーフが貼り付けられており、初めてそこを通る人は大概足を止め不審或いは疑念の目でそのブリーフをしげしげと眺めるのだった。そうしてこの比較的新しい(真新しくないところがまた絶妙なのだが、)ブリーフに掠れたマジックで「吉田」と書いてあるのを発見し、これがいわゆる表札代わりであることを認識すると笑いながら去ってゆく。

稀に、こんなところにこんなものを貼るなどけしからんと言う人間も居たが、実のところ、そんなまっとうな人がこのアパートに訪れることは少なかったのである。

ところで私が実際にその部屋の住人を見たのは引っ越して半年くらい経った頃だった。しかもそれとは気付かずに、私は彼と毎朝会っていたのである。と 言うのも、私が会社に行く途中にいつもすれ違う「ジョギングのカネコくん」が、ブリーフ吉田の正体だったのだ。

「カネコくん」は物腰の柔らかな童顔の青年で、何の仕事をしているのかは知らないがいつも朝早くからジャージ姿で近所をジョギングしており、すれ違う時には必ず「おはようございます」と挨拶してくれる、実に感じのよい人だった。ゆえにブリーフ部屋から出てくるカネコくんを見たとき、私はにわかには信じられなかった。

「カネコくん?」
「はい」
「吉田さん?」
「はい」

……私は彼が周囲からカネコくんと呼ばれているのを見て勝手に「金子くん」なのだと思いこんでいたのだが。

「ぼくの本名は吉田カネコというんですよ、兼子と書いてカネコ」

新生児のうちに亡くなった姉の名前をそのまま流用されたんですけどね、と、青年はさらりと答えた。

「それは……、それで良いんですか、あなたは」
「いやあ、まあ、よかないですけどね」

彼の平然とした口調、『それが何か問題でも?』と言いたげな面持ちに、私はようやく貼り付けられたブリーフのことを思い出した。

「ああ、あれは」

カネコくんはけろりと答えた。

「いたずら好きな友人が勝手に書いて貼っていったんですよ」

……あまりに何でもないことのように言うので、私はつい納得してしまうところであった。

「……剥がそうとは思わないんですか?」
「いやあ……、まあ、思わないこともないですけどね」
「……」

私は恐る恐る、最後の質問をした。

「カネコくん、じゃ、その、あなたは何でいつもジャージを来ているんですか?」
「え?だって めんどくさい でしょう」 

ぼくニートなんで、ちゃんとした格好しなくても大丈夫なんです と、にこやかな笑顔で言うと、カネコくんは会釈をしてブリーフの貼り付けられた自室へと戻って行った。



それから彼がどうしているかと言うと、相変わらずブリーフは扉に貼り付けられたままだし、ニートのまま毎日をジャージで過ごしているし、朝には「おはようございます」と声をかけてくれている。

彼の人生は「めんどくさい」という一言に集約されたものであり、私はそこで彼に対して失望しても良かった。

失望しても良かったのだが、しかし私は、不安や不如意や不面目をものともせずに生きている彼を少し……、いやかなり 羨ましい とすら思ったのでここに記す。

 

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