ゆめ か うつつ か
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
どんなに優秀な人間でも生まれた時代に逆らうことは出来ない、人を殺すことが正しい時代に生まれてしまったならあたしだって、自分の手を汚すことを厭わないだろう。何が正しくて何が悪いのかの判断を今ただちに下すことなんて出来ないから、答えをゆだねるのは、未来なんだ。戦争中の文献見てるとそのことがはっきりとわかる。それでもたとえその道が最初から間違っていたとしても、自分の意思を信じることをやめなかった人が居る、信念を持って行動していたひとが居る、歴史に残れなかった民衆の中にも、巻き込まれるしかなかった人の中にも、真実を見つめたがっていた人がいる。そのことを証明したくてあたしは頑張っている。
こんなことを考えている時点であたしにはもう証明する資格なんて無いのだけれども、でもあたしだって信じたいんだ。たとえ人を殺す時でも、人は、なるべく一瞬で止めを刺してやろうとするということを。そのこころを。人間て何ですか。戦争って何ですか。ひとは何を考え何を志向して生きるのですか。そこに事実しか無いとしても・真実を見出そうとする試みを諦めてはならない、その努力こそがまさに人間を生かす。こうして日々自分を叱咤している、私の出す結論は私の出したい結論なのだという矛盾を抱えつつも、でもあたしは生きているから見出そうとすることを止められないのだと。
*
70年前の新聞記事にも「親殺し」「兄弟殺し」なんてありふれている、「今日の料理」では白菜と鶏肉の煮込みなんか紹介されてる、70年前の日常も今もたいして変わりはしないんだよね。コモンセンスが訴えるものはだから、ただひとつ。
PR