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お昼休みに近所の古本屋をハシゴしてたらご飯食べる時間が無くなった……
C・ブラッカーの『あづさ弓』が700円だったので購入。大学入りたてのときに読んだなァ。れっきとした研究書なんだけど、情緒ある序文や挿話が好きで前から欲しかったの。柳田とか折口の論も研究上の課題ではなく詩情を読み取ってしまって、分析的な読み方ができない。早々に研究をあきらめておいてよかった。
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近頃いろいろな事件や犯罪があって考えさせられる。
弟は「凶悪犯罪やるような奴は全員死刑で良い」ってデスノートの主人公みたいなことを言ってて、まあそれはある意味健全な発言なのだろうけど健全すぎてちょっと怖くなった。
わたしはこの世に完璧な悪人って居ないと思うんだよね。
それは完璧な善人が居ないのと同じことで、人間の中には汚い部分と綺麗な部分がごっちゃになっていて、なんとかしてバランスをとりながら生きてる。わたしだってむしゃくしゃしたら破壊衝動に駆られるし、反対に世界の全てに優しくしたいときもある。ほんのささいなことでどちらかに針が振れてしまうこともある、人間だから。弱いから。
「凶悪犯罪やるような奴は全員死刑」って、そういう人間の弱さについては考えてない言葉だなあと思ったの。
なんていうのかな、「自分は絶対そんなことやらない」「自分だけはそんなことにならない」ってに考えてると危険な気がするんだよね。自分の考えや行為を疑うこと、省みること、それが出来れば身勝手な犯罪なんて誰も犯さない気がするし……
曖昧な言い方だけど、人間は善の方へ向かいたいと思ってるとわたしは信じたい。
こう言った方が確実かな、「善の方へ向かいたくない人間なんて居ない」。
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近代以来の個人主義を育んだ西欧社会はキリスト教に影響されていて、キリスト教文学のテーマにはやたら罪と罰やら内省ものやらが多いけれど、その西欧社会の系譜を汲んだ現代日本でそういう概念……「贖罪」「つぐない」、そういうのってあまり一般的じゃないよね。罪を犯したものには断罪のみ、な気がする。