ゆめ か うつつ か
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久々に乗り合わせたタクシーの運ちゃんがどうみても20代半ばなのに32歳で、15歳の娘を筆頭に五人も子どもが居て、しかも奥さんの浮気が原因で離婚して今40のひとと付き合ってて、
・・・・・・とにかくサプライズの連続だった、32にしてこの人生のこゆさ!!
ついでに8つ年齢差のあるひとと付き合う人間の心理を語り合った。「惚れたらとにかく一途に信じることですね。自分、ハンパなことダイッキライですから」という言葉に「ですよね!!」と力強くうなずいた。
しかし17・8歳で結婚って、イマドキすげえ珍しいよな。聞けばヤンチャの挙句の出来婚だったみたいだけど、ヤンキーの底力を見たような気がする。これからの日本には、こういう後先考えず向こう見ずに、でも何かを徹底的にやり遂げる力が必要なのではないか、と Gとひたすら感嘆。
・・・・・・とにかくサプライズの連続だった、32にしてこの人生のこゆさ!!
ついでに8つ年齢差のあるひとと付き合う人間の心理を語り合った。「惚れたらとにかく一途に信じることですね。自分、ハンパなことダイッキライですから」という言葉に「ですよね!!」と力強くうなずいた。
しかし17・8歳で結婚って、イマドキすげえ珍しいよな。聞けばヤンチャの挙句の出来婚だったみたいだけど、ヤンキーの底力を見たような気がする。これからの日本には、こういう後先考えず向こう見ずに、でも何かを徹底的にやり遂げる力が必要なのではないか、と Gとひたすら感嘆。
台湾でアレルギー改善に漢方のススメを受け、そこはかとなく興味が出たのでかかりつけの西洋医に尋ねてみたら
「あ、うちでも出せますよ。試してみます?」
と、いともあっさり処方してもらえた。
綺麗にパッケージングされた大量の粉薬を前に、ちょっと違和感。漢方ってこんなんだっけ?
*
わたしの知ってる漢方、いわゆる中医は、コレ何世代使ってるの?ってくらい薄汚れて歪んだ壁一面の薬棚から、コレ口に入れて大丈夫なの?って感じに干からびたアヤシゲな動植物を、これまた年代物の秤で計ってくれるようなそんなのだった。
昔、北京の漢方専門店のショーウィンドウにあったトカゲの陰干しを棒に刺したやつ、あれがシュールで気に入ったのでインテリアとしてまるごと買い求めようとしたら、わりと高値で驚いたことがある。そのときいくら持ってたか忘れたけど、「そんなんじゃ片足くらいしか買えないわよ」って言われた。片足じゃ意味ないよー!まあ飾るの前提で買う人の方が珍しいんだけどさ。
魯迅も批判してたけど、昔の漢方は大量に(それこそどんぶり三杯とか)服用しなきゃならないから、薬代もかかるし相当苦しかったみたいね。
→実際に飲んでみた感想。
まずっっっ!!!
口直しに甘いものとか用意しないと飲めないや……
「あ、うちでも出せますよ。試してみます?」
と、いともあっさり処方してもらえた。
綺麗にパッケージングされた大量の粉薬を前に、ちょっと違和感。漢方ってこんなんだっけ?
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わたしの知ってる漢方、いわゆる中医は、コレ何世代使ってるの?ってくらい薄汚れて歪んだ壁一面の薬棚から、コレ口に入れて大丈夫なの?って感じに干からびたアヤシゲな動植物を、これまた年代物の秤で計ってくれるようなそんなのだった。
昔、北京の漢方専門店のショーウィンドウにあったトカゲの陰干しを棒に刺したやつ、あれがシュールで気に入ったのでインテリアとしてまるごと買い求めようとしたら、わりと高値で驚いたことがある。そのときいくら持ってたか忘れたけど、「そんなんじゃ片足くらいしか買えないわよ」って言われた。片足じゃ意味ないよー!まあ飾るの前提で買う人の方が珍しいんだけどさ。
魯迅も批判してたけど、昔の漢方は大量に(それこそどんぶり三杯とか)服用しなきゃならないから、薬代もかかるし相当苦しかったみたいね。
→実際に飲んでみた感想。
まずっっっ!!!
口直しに甘いものとか用意しないと飲めないや……
困=中国語で「眠い」。なるほど確かに眠いと困る。
*
弟に論文チェックを頼まれていろいろ、内容から校正から構成に至るまでみていたらいつのまにか朝六時になってて、あわてて出勤に備えてちょっとだけ ねた。
参考文献の書き方指導とかね、懐かしかった、、
……こう言えるようになるくらい、わたしは学問から解き放たれたわけだ。永遠にあの世界に居なければならないかと怯えていたことを考えると、まことに、喜ばしい。
結局学問も学力よりかは人間力な気がする、っていうか、常識力。お世話になったひとに、お世話になりましたと挨拶できる人がデキる人で、それはこの社会を生き抜いていくスキルでもあるわけ。わたしはそういうスキルにいまひとつ自信がなくて、出世できる自信が持てなかった。そういう常識を、ぶっとばせるほどの、有無を言わせぬ天才でもないし。
ぶっちゃけて言えば人生で恒常的に幻聴が聴こえていたのが論文を書いている時期だった、毎日背後から「死ね 死んでしまえ」って囁かれていた、そのくらい追い詰められていた。その頃のことを考えると何でも出来る気がする、人を傷つけること以外は。
本当に、人間は希望を捨てちゃいけないと思う。
人を愛することを、人から愛されることを、あきらめちゃいけない。
*
弟に論文チェックを頼まれていろいろ、内容から校正から構成に至るまでみていたらいつのまにか朝六時になってて、あわてて出勤に備えてちょっとだけ ねた。
参考文献の書き方指導とかね、懐かしかった、、
……こう言えるようになるくらい、わたしは学問から解き放たれたわけだ。永遠にあの世界に居なければならないかと怯えていたことを考えると、まことに、喜ばしい。
結局学問も学力よりかは人間力な気がする、っていうか、常識力。お世話になったひとに、お世話になりましたと挨拶できる人がデキる人で、それはこの社会を生き抜いていくスキルでもあるわけ。わたしはそういうスキルにいまひとつ自信がなくて、出世できる自信が持てなかった。そういう常識を、ぶっとばせるほどの、有無を言わせぬ天才でもないし。
ぶっちゃけて言えば人生で恒常的に幻聴が聴こえていたのが論文を書いている時期だった、毎日背後から「死ね 死んでしまえ」って囁かれていた、そのくらい追い詰められていた。その頃のことを考えると何でも出来る気がする、人を傷つけること以外は。
本当に、人間は希望を捨てちゃいけないと思う。
人を愛することを、人から愛されることを、あきらめちゃいけない。