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そういえばわたしは雛かざりを持っていない。
初節句に雛人形を用意するのは母方の祖父母のつとめらしいが、わたしの場合は「次女だから」と、雛人形の代わりに市松人形をくだすったらしい。まあ、年に一度しか出番無いのに、そんなにたくさんあってもね。飾りきれないよね。
そんなわけでわたしの市松人形は寝室のたんすの上に鎮座ましましておられたが、これが幼少期のわたしにはそうとう怖かった。寝るときいつも目が合うの。なんか動くような気がするの。とか、そんなことを主張して母を困らせてたこともあったらしい。厄介な子だ。
まあしかし、だいぶ大人になってからなにげなく見たら人形の左手が取れてたときがあって、そんときはさすがにびびったぞ(後日親父がボンドでくっつけて直してたけど)(鈍感親父万歳)(しかしそんな親父ですら火の玉を見たことがあるという)。
皆川博子の短編で、平凡な主婦が雛人形の世話を口実に次々と男を「殺す(関係を持つ)」話があったな。
なんかそういう……静けさのなかにも狂気を秘めた顔だよね、日本の人形って。
親父の献立の欠点は、
●揚げ物が多い
●味噌汁に三種類以上の具を入れる
●量を作りすぎる
の三点に集約される。いや、美味しいからいいんだけどさ。
そんなわたしは高確率でご飯を炊くのに失敗する。
電気式炊飯ジャーを使用している以上、何を失敗することができようか、と自分でも思うのだけど、どうも水の加減を失敗する。メモリぴったりにあわせたつもりでも、多すぎたり少なすぎたりしているらしい。微妙な調整が苦手なの。
*
mとお茶して別れた直後、消防車がけたたましいサイレンを鳴らしてわたしの横をすり抜けて行った。ほどなくしてmから「消防車来てたけどお前は大丈夫か!?」みたいなメールが来た。
え、わたし発火してると思われた?
と 思いつつ、とりあえず心配してくれたのはわかったので「大丈夫」と返信。
あとで聞いたら、「火事に巻き込まれてないか?」の意味だったらしい。まあそうだよね、でもピンポイントで心配されたので、なんとなく、わたしが燃えてると思われたのかと。
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熱海にあった花屋。
この隣には喫茶「メキシコ」があった。
昨今のバレンタインでやたら友チョコ・逆チョコが流行るのは、販売側の戦略もあるだろうけど、それにもましてバレンタインというイベントの持つ意味あいが時代と共に変化したことにあるんだろうなとふと考えた。
一昔前のバレンタインというのは「女の子から男の子に公然と告白できる日」だったような気がする。告白(交際申し込み・好意の表明)は男から、というのが当たり前の、マッチョな時代においては、バレンタインというのはなかなか画期的なイベントだったわけだ。女の子が告白するなら下駄箱にラブレターとか、そういうオーソドックスな時代・本来は男性的な行為である告白を、チョコという甘い贈り物に恋心を託してカモフラージュできたわけ。
今や男がこぞって草食化しちゃったから、「年に一度の」機会なんて待ってらんない女の子が増えて・バレンタインはちょっとおしゃれなギフトイベント、お歳暮やお中元と大差ない季節の風物詩ってかんじだ。むしろお歳暮やお中元ほど高価でもなく、モノとして残るわけでもないので、こっちのほうが気軽。
大体女の方が甘いもの好きなひと多いしね、そりゃまあ当然のなりゆきだろうと思う。