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ゆめ か うつつ か
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某っつうか…防っつうか…
もちろんGとでっす。



受験時期がセンター前で、いい肩ならしになるからってうちのガッコの先生はやたら、お試し受験を勧めていたけど当時は爪の先ほども大学受験に興味が無かったので場所すらも知らなかった。
浦賀の近くにあるんだね。漫画やら小説なんかの知識で某大のことを「山」と称するのは知ってたんだけどほんとに山だった、バス逃したらきっついわ・・・

一般見学申し込みがなかなか、めんどくさくてね。なんじゃこの厳戒態勢。かる~い気持ちで見学申し込んだんだけど、見学時間外は部外者完全排除で食堂も開放してないのにはびっくり。そして校内の豪華設備にもびっくり。わが母校と比べてなにこの格差…なにあの図書館…なにあのホール…う うちなんかなあ、体育館に卒業生入りきらなくてなあ、外からスピーカーで祝辞きいてたんだぜ!
それはともかくシニア向けの見学ツアーと一緒になって、2~30人で観てたからか、時間がなくなって…資料館もうちょっと見たかったなー。昔は帝大に次ぐエリート校だったとか、卒業生の言葉とかが興味深いんだな。なんてえかあたしとは全く次元の異なる思想の人々のことばをみるのは勉強になる。

「逞しいソクラテスであれ」って言葉には、度肝を抜かれたけど。すげえなそれ無敵じゃん!ソクラテスが聞いたらなんていうかな!

理想はもちろん、高くあったほうがいいし、文武両道って素晴らしいことだと思う。
でもあたしは、全てに於いて完璧な人間は、人の上に立つべきではないと思っている。
だって弱さがわからないもの。健康な人間は、障害を持つ人間の気持ちがわからないように、完璧な人間は弱者の気持ちはわからない。そういう人が中心の世の中は結局、強者の世界だということで…人の弱さがわからない人間が力を持つというのは、とても恐ろしいことではないかなあ・・・







実は申し込んだときはわりと、ノリノリだったんだけど、実際観にいったらけっこう…、、と、いうのも、いつからかもやもやと心の中にあったものが最近の軍G関係見学によりどんどん形をなしていて、それは紛れも無く「ばかやろうてめえからしね」という類の、敵意にも似た思いで…武器とか兵器とか見てるだけで思う…別にその感情に明確な対象があるわけでなく、漠然とした「殺戮兵器」への嫌悪なんだけど・

そんでこの日も、豪華な学校施設や学生達の一糸乱れぬ行進なんかを観ていてとても、何だか、哀しくなりすぎて逆に笑い出したくなったのだった、Gには大変悪いことをした。ごめんね。「くにのため」とか、トラウマワードのオンパレードに耐えらんなかった。でも今この瞬間、白い制服に銃を捧げ持った彼らはとても純粋な思いで国.旗や国歌に対して居るのかもしれないと思うとその純粋さが眩しくうつくしく、自分にはそういった美の存在する余地が全く無い事実にも涙がでそうになった。

あたし馬鹿だから、NIPPONって何なのかよくわかってないんだな、そんなに大切なものかどうかもわかんないんだな。他人を(他国を)害してまで生き延び繁栄しなければならないと思うほどあたしは自己中心的にはなれないし、そんな自信は持てない…

「平和のことを考えたら自a隊に入るしかないと思った」、と語る女の子はあたしよりよっぽどまっすぐで、それは大いなるパラドクスに思えるのだけど…だって本来、平和のことを考えたら一番最初に失くすべきは軍事力だというのに、そうしてたとえ他から侵略されても、滅びてしまってもむしろその死は誇るべきものなのに。その平和はカッコつきのもの、あくまで日本が、日本だけが平和でありさえすれば…そう聞こえるから、でも考えるだけでなにもできないあたしよりは彼女の方がよっぽど、偉いんだ。



フーコーは日本の沈黙とそして自殺という伝統を称えたけれど・もう今の日本にはそういう考え方は消失してしまった、守るべきものなどとうに無いのよ、全てを売りさばいて生きているのよ、最後の血の一滴まで!
1945年に生きていた日本人がそう決めた、すべての尊厳を売り渡した、そうまでして生きることを選択したのよ!

そうわめきながらあの白い隊列に闖入したらどうかなあ、忽ち取り押さえられて狂人扱いされるだろうけど、でもすっきりするだろう、この青い空みたいに、などと考えていた。



大体が、「戦争ものの作品は気持ち悪い」、だってどうしてそんなに「犠牲」を強調するの、まるで自分も被害者みたいな顔ができるの、あたしは、『きけわだつみのこえ』を読むといつも、彼らを殺したのはあたしのように思えるし、原爆だってあたしが落としてしまったような気がする、あたしは被害者の気持ちは永遠に理解できないだろうけど加害者の気持ちならたぶん、わかる、それは人間ならたぶんだれだってそうなんだろう、けどみんな、戦争を涙なしには語れないもののように扱ってる、それがとてつもなくきもちわるい。

みんなが「お国のために」死んで行った、みんなきよらかに、天子様のために死んでいったというのは嘘だ、そう言えば、生き延びた・残された加害者が、安心できるから…無力であるということ、無為であるということはそれだけで加害の側である。

だから1945年以降の日本を生きる人間はみんな、加害者であり共犯者ではないかとあたしは考えてる、日本は1945年に国であることをやめ、国であることをやめるとはどういうことか考えることをやめた。あたしのなかでは、日本は、いまだ、国家といえる存在ではなくて…

なのに彼らの中には確固たる「日本」があるみたい、見えてるみたい、夢の国みたいに。美しい彼らの行進は、ディズニランドのパレードのように華麗だった、にてるよね、部外者は絶対立ち入り禁止、秘密がたくさん、入り口が一箇所しかない、毎日パレードとテーマソングの異空間。

・・・彼らに見えている美しさとあたしに見えている汚濁とを合わせて割ったらきっとちょうどいいんじゃないかな。



あ 別に何かを批判しようとか思ったわけではなく・・・そんな勇気はなく・・・ここでこうして呟くことしかできないあたしがまず最初に批判されるべきだと思うしね、あたしに何かを判断ないし決断する能力があるとは思えないからね。


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