ゆめ か うつつ か
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庭木が成長しすぎて森のようになっていたので去年の暮れに何本か伐採したのだけど、切り株からはもう芽が出ていて、ああ生きてるな、と思った。木々の間から見える青空が好きで、それだけはわたしのちいさいころからまったく変わってない風景。
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四月に家を出てから久々に母の話を聞いたら、体調があからさまに悪化してる様子だったので東京に帰ったら病院へつれてゆく約束をする。昨年、病院嫌いの父をあれだけ批判していたのに、自分のこととなると無頓着なんだから、困る。
もっともわたしも虫歯の予感を無視し続けて、結局一本失ってるわけなので、ひとのことはいえないが。
あ、歯は順調に治療中です。たぶん順調。おそらく。
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空気に、水分が、有る。
室内に居るだけなのに汗がぽたりぽたり本のページに落ちるので、ああいけない熱中症になってしまうと思ってペットボトルのお茶を飲んだら、存外喉が渇いていたらしく止まらずに一本飲みきった。
やたら汗をかくので洗濯物は絶えないし、書斎に置いた湿気取り(3カ月用)は一週間でだめになり、扇風機をしじゅう回して湿気飛ばし。冷蔵庫はいつもより気合いを入れて稼働してるし、ああ、節電の夏は遠い。
ったく日本は高温多湿だよ。トルファンに行ったときは、汗をかく傍から乾いてゆくので、汗の結晶が砂みたく残るだけだった。同じ高温なら、ああいうのがいい。
室内に居るだけなのに汗がぽたりぽたり本のページに落ちるので、ああいけない熱中症になってしまうと思ってペットボトルのお茶を飲んだら、存外喉が渇いていたらしく止まらずに一本飲みきった。
やたら汗をかくので洗濯物は絶えないし、書斎に置いた湿気取り(3カ月用)は一週間でだめになり、扇風機をしじゅう回して湿気飛ばし。冷蔵庫はいつもより気合いを入れて稼働してるし、ああ、節電の夏は遠い。
ったく日本は高温多湿だよ。トルファンに行ったときは、汗をかく傍から乾いてゆくので、汗の結晶が砂みたく残るだけだった。同じ高温なら、ああいうのがいい。
母に誘われ、「漱石の美術世界展」に行ってきた。漱石は実家に全集があったので、ひととおり読んだつもり。
よく「○○世紀の美術」というタイトルの美術展はあるけど、文学者をフューチャーした美術展って珍しい。総合芸術的な見地、なのかな?と勝手に深読み。
構成は①漱石の作品に出てくる美術品②漱石の幼年期に身近だった日本美術③漱石に関わりのあった芸術家の作品④漱石の作品となっていて、漱石好きにとっては至れり尽くせりの展示。
ただ、美術史の系統に沿ってるわけでないから、作品集めるの難しかったんだろうなあ。ミレイのオフェリアは写真だったし、そのほかも何点か写真が。とはいえ、シャロットの女や人魚の絵は良かった。
『虞美人草』のラストに出てくる屏風など、わざわざ今の画家に依頼して描かせてるものもあり。描き手が誰かより、誰が、なぜその描き手を選んだのかの方が気になった。どうやら依頼人は芸大美術館の准教授らしいが、どうしてその描き手を選んだのか。漱石好きな絵描きだったのか? もしそうなら同人的な二次創作じゃん、とか思ったが、まあ単に頼みやすかったから頼んだんだろう。
漱石自筆の絵は……まあ……線へろへろの、いかにも素人。だが会場にいた元・文学少女の老婦人たちは「なんて素晴らしい絵!」「漱石って何でも出来るスーパーマンだったのね!」などと感極まっており、そりゃ崇拝しすぎじゃねーのとツッコミを入れたくなった。
ようは、文学は網羅してても絵はあまり分からない人たちがわりと居たんでは、とわたしは思う。近代日本美術の展示は足早に通り過ぎても、漱石自筆の展示では一文字一文字、じっくり見てる人が多かったし。画家メインの展示だと逆だよね。絵の方に重点が置かれる。
言ってみれば漱石好き集まれ!って感じの展示だった。好きな人ならすごい楽しめる、でもこれ真の意味で美術展かと言われたらちょっと怪しい。だからこそタイトルが「夏目漱石の美術世界展」なんだろね。
言うなれば漱石の作品を理解するための美術展、先に文学ありきの展示。つまりはちょっと大掛かりで贅沢な「夏目漱石文学記念館」だと理解した。
よく「○○世紀の美術」というタイトルの美術展はあるけど、文学者をフューチャーした美術展って珍しい。総合芸術的な見地、なのかな?と勝手に深読み。
構成は①漱石の作品に出てくる美術品②漱石の幼年期に身近だった日本美術③漱石に関わりのあった芸術家の作品④漱石の作品となっていて、漱石好きにとっては至れり尽くせりの展示。
ただ、美術史の系統に沿ってるわけでないから、作品集めるの難しかったんだろうなあ。ミレイのオフェリアは写真だったし、そのほかも何点か写真が。とはいえ、シャロットの女や人魚の絵は良かった。
『虞美人草』のラストに出てくる屏風など、わざわざ今の画家に依頼して描かせてるものもあり。描き手が誰かより、誰が、なぜその描き手を選んだのかの方が気になった。どうやら依頼人は芸大美術館の准教授らしいが、どうしてその描き手を選んだのか。漱石好きな絵描きだったのか? もしそうなら同人的な二次創作じゃん、とか思ったが、まあ単に頼みやすかったから頼んだんだろう。
漱石自筆の絵は……まあ……線へろへろの、いかにも素人。だが会場にいた元・文学少女の老婦人たちは「なんて素晴らしい絵!」「漱石って何でも出来るスーパーマンだったのね!」などと感極まっており、そりゃ崇拝しすぎじゃねーのとツッコミを入れたくなった。
ようは、文学は網羅してても絵はあまり分からない人たちがわりと居たんでは、とわたしは思う。近代日本美術の展示は足早に通り過ぎても、漱石自筆の展示では一文字一文字、じっくり見てる人が多かったし。画家メインの展示だと逆だよね。絵の方に重点が置かれる。
言ってみれば漱石好き集まれ!って感じの展示だった。好きな人ならすごい楽しめる、でもこれ真の意味で美術展かと言われたらちょっと怪しい。だからこそタイトルが「夏目漱石の美術世界展」なんだろね。
言うなれば漱石の作品を理解するための美術展、先に文学ありきの展示。つまりはちょっと大掛かりで贅沢な「夏目漱石文学記念館」だと理解した。