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五月ってあまりにも美しすぎて、逆に不吉なイメージなの。
話自体はもう三ヶ月前くらいには完成していたけど あおざめた五月 っていう言葉を使いたくて五月まで待っていた。あと 皐月賞ね。
神とか天使とか運命とか 自分以外のなにか絶対的なものにすがりたい とか 思ってしまったらかなりやばい、と思うのは近代以降の人間のサガでしょうか。
最近は 神でも天使でもなんでも、居てもいいや 居たらいいんじゃない?ってくらいの境地。
四月はやっぱり桜だろうと思って。改めて書いてもよかったけどこの話気に入ってるので、ぜひともどこかに組み込みたかった。
ブログにあげてたときは、
『見るよりも 成る方がどんなにか・……』
みたいなコメントをつけていた。
夢の中ではひとり置いてかれたからね、ほんとはさみしかったのかも。わたしも一緒に桜になってしまいたかったのかもしれない。
ゼウスは腿でアテナを育てたし、イザナギは目だの口だのから子供を生んだ。別に出産は男子の尊厳を犯すものでもなんでもないと思うんだけどね、っつうかこんなこというと出産という行為そのものの侮辱になるかしら?でもいまだに、出産=穢れ って意識、根強いなあって思って。
聖書では、林檎を食べた罰として、おんな には産みの苦しみが与えられたわけで……そういう意味では洋の東西をとわず、おんなというのは枷をはめられている。
遺伝子的には男っていうのは女のできそこないらしいよね。別にあたしは男性差別主義者ではないけれど、子宮のあるなしでこんなにいろいろバカにされなきゃいけないなら、こっちだってバカにしてやりたいって思うことがある。
しかしフェミニストになりきれないのは、そもそもジェンダーうんぬん以前に、自分の性別すらきちんと弁えてるかどうか怪しい・ってとこがあるからだろう。
女ですらない。
↑と・まあこんなような(男性も子供産めるようになればいい云々)話題を電車の中で延々してたら、目の前のサラリーマン風おじさんがそそくさと離れていった。別に男性諸君を責めてるわけではないのだけど、きもちわるかったのかな。
*
旅行記、着々と仕上げてます。
二月もそれなりに忙しかったのでまったく吟味推敲できてないんだけど、気分的にこういう童話っぽいのが書きたかったの。雰囲気としては一千一秒物語的、人物や風景の描写もなにもない、ただ筋だけがある……
あたしが理想とする物語づくりはだいたいこんなかんじ。余計なものはいらない、骨と筋しか無くていい。
ミカヅキっていう名前は気に入ったのでまたどこかで使いたい。
去年の一月に上げてた小文、気に入ってたのでいずれ「何か」にしたいなあ、と思っていたやつを、移動。手抜きではない……わけでもない……。。
「かまぼこ」は、恐らくあたしの書いたものを一番読んでるにもかかわらず・めったに言葉をくれないGにすら「すごいと思った」と言わせた思い出の話。。
このシリーズは、全編こんなかんじのよくわからない短編連作にする予定。
タイトルに(仮)がついてるのは、「気狂い」って、書面上使っちゃいけない言葉だったはずなので……これはいずれ変えるかも、どうもまだしっくりきてないし。
*
最近時間が無くてなかなかPCが触れない、でも物語はどんどん頭の中で増殖してゆくので、仕方なくケータイで打ち出したりしてるけどケータイじゃやっぱりもどかしい。いいかげん書かないと物語が耳から溢れそうなのだが・今週末もまた休みは無いのであった。
あたしが物語的な夢をよくみるのは、もしかしたら脳内にある数え切れない物語の整理作業かなあとちらと思った、ほらよく夢って言うのは意識とか記憶の整理だとかって言うじゃない、あたしの場合、日々の意識が物語とあまりにも結びついてるからさあ。
……ほんとうに、ねむい。