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書いたのは相当前で、その時はもっと詳しい注記をしようと思ってたんだけど・根が尽きた。中国系の文献は見るだけで疲れる。
真昼に憑かれたもの、眠ることを、夢を見ることを許されないもの、さまよい続けることを運命付けられたもの、フライング・ダッチマン(さまよえるオランダ人)みたいに。
太陽を見ることが禁じられているのは、明るすぎる光が全てを照らしすぎてしまうからだと夢の中で誰かに教わった。南欧では真昼に外出するのは不吉だという、太陽に蝕まれ狂気をひきおこすから。でも、それって本当に狂気なのかな?正気ではないのかな?
観にくくてすいません、正直未完成もいいとこなんだけどこれ以上やろうとすると 「A to Z」向きでなくなってしまうので、まあ、ぼちぼち直します。一応番号つけといたしわかるよね…まあ原則として花でも蜂でもどっからでも読めるといえば読めるはず、「庭」は最後に読まないとわかんないけどね。
花と蜂との逆説的相互依存関係、風のもたらす変化、三者三様の力関係とかね、基本的なとこは決まってたんだけど最初は風が男の子でした。でも蜂との関連上、風は女の子にしたかったの。それにこの東風(あゆ)の歌、好きなんだ。
庭は憩いの場、休息、守られるところ
・・・私たちはいつでも自分だけの庭を欲している、けど、そこに居続けることは、できないんだよ。
さみしい、って言ったら「こどものくせに」って言われたことがある、ずいぶん昔の話で言ったひとはもうそんなこと忘れてるけど。さみしいのに おとなも こどもも ない、って思ったのをよく覚えてる。あたし個人は、小さい頃のほうが孤独感が強かったなあ。どこにいてもなにをしててもさみしいっていう思いを常に感じていたし今も感じている。いや、今はもう、慣れたし、さすがに。大丈夫だけど。
あい ってなにかよくわからないけど
あいするのは、さみしいからなのかなあ と 漠然と思っている。
いろいろ、感覚を覚えてるうちに書いておきたいんだってば! ←言い訳
某暴走車漫画のおかげでなんとなく Drift という言葉にはもっと激しさを認めていたので「ただよう」という意味があるのは違和感を感じた。実はDの項には昔「ジレンマ」をのっけてたのだけどこれは全くストーリーになってなくて、他の話と違いすぎたから下げた。
流氷の話は昔から一度書いてみたいと思ってたもので、実は半分くらいは実際に見ていないときの、想像してたときの文章が混じっている。そのほうがいいとおもったからそうした。
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いやあしかし「A to Z」も気付いたら半分以上埋まってた。びっくり。B・F・G・Wは続きもので、去年の暮れからもうあらかた出来ているのだけどなかなか納得いく出来にならないのでまだ繋げていない。構成とか見せ方とかね、せっかくだからリキ入れたいんよ。
だんだん、埋まってくると何が困るって、一度使った文字は二度と使えないのでなかなか、タイトルがね…。こういうこと言うと「お題」の役割果たしてないことまるわかりなんだけど、どうしたって話が先に出来てしまうんだよなー。単語を決めておけばまだ話の内容をその単語に関わらせるとか工夫すべきとこができて、そういうとこで力を問われるんだろうけど好きで書くものにそこまでの制約は欲しくない。
やっぱり、心底気ままに書いてるだけなんだなー…