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●「わっきり言って」=「はっきり言って」の強調形。 「は」 が 「わ」になることによって話し手の感情をより強く伝える効果がある。
例)「わっきり言って、もう面倒見切れないんだよね」
●「あんまりジャンプじゃないジャンプ」=『ヤングジャンプ』や『赤丸ジャンプ』他、ジャンプ度(主に、友情・努力・勝利の三要素によって定められる)が低いジャンプのこと。
例)「M宮Hろしって、最近はあんまりジャンプじゃないジャンプに連載してるよね」
●「そらまめ」=「空耳」のこと
例)「何か聴こえない?」「そらまめじゃないかな」
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イイ間違いですね!
還会説什麼?
無法言語。
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携帯から中国語を打つのは難しい。
新芽を見ると何かしらうずうずする。卵が孵る前みたいだ。
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ところで私は春になると必ず体調を崩す。持病なので仕方ないけどね、花粉症の一種で、医者いわく花粉が皮膚に付着して炎症を起こすんだそうだ。それでまたあっけなく不眠症の日々に戻るわけ。
ま、私個人の不健康な話を書いてもあまり楽しくないのでこのへんでやめておくがしかし、哲学的っつうか厭世的っつうか、やるせない気分になるのはこういうときだ。
能力とか健康とか家柄とか経済力とか、生まれつきどうにもならない差ってある。格差社会なんて最近の言葉のように考えてる人が多いけど実は有史以来、人生てのは格差が前提だし差別の連続でもある。それを思えば自分の居る場所はそんなに悪いもんじゃない。恵まれた人を羨む気にもならないが、恵まれない人を哀れむ気にもなれない。それは只の現象に過ぎない。
世界は自分のためにあるわけではないし誰かのためにあるわけでもない、厳然とそこに存在するだけだ。
ってこういう考えを深めてしまうとある日突然金やら家やら環境やらの一切を放棄して世界を放浪しようとか思ってしまい非常に危険なの。
そういう衝動は過去二度ほど実行してるが思ったほど楽しくはなかった、わたしはまだまだ水気たっぷりのようだ。
砂のように乾ききれれば。春も怖くはないのだけれど。
アウトレットで買い物しただけなんであるが、しかもたかだか一万円くらいの、でも何だかとても罪深いような気がしたので懺悔しておく。
弟も引き連れてmと、三人でアウトレットへお買い物に行った。mも弟も何も買わなかったので結果的にひとりで買い物しまくってしまった。なんだろねこの背徳感。やるせねえな。自分だけ金を遣っているとなんか不安になって他人にまで浪費を勧めたくなってしまうのはこれこそ悪魔のなせる業ではないだろうか。神よわたしをゆるしたまえ。
アクセサリーはおおぶりなものが 好き。
mに弟を引き合わせるのは初めてではないが、やっぱり少し緊張する。どちらもわたしのとても大切な人なのでうちとけて欲しいと思う。大好きな人と幸せに暮らしたいというのがわたしのささやかなゆめだ。叶えるのは途方もなく難しいことだとは思うけれど。
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弟に「実はわりと臆病だもんね」と評された、そのとおり!よく解ってるさすがァ!って思った、実はわりと臆病です。わたしが大胆になってるときはおおむね、命を捨てているとき。すなわち「to be or not to be」を実践、そうでもしないと平静を保てない。いつでもギリギリなの、かっこわるいでしょ。