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ゆめ か うつつ か
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犬が死んでもう半年以上経つのに未だに帰宅すると庭先から犬が顔を出すような気がしてしまう。
犬は私が帰るとまずは上目づかいに「不審者でない」ことを確認し、「美味しいもの持ってない」「散歩でもない」「帰ってきただけ」ということを確認していたので私はちらりと一瞥をくれてやり、時に気が向けば頭をひとなでもしてやっていた、それは習慣であり惰性だから愛ではない。ただどうしようもなくひきつり痛む、記憶に刻まれた傷のような。

何が哀しいのだろう、もう居ないこと?もう居ないから優しくしてあげられないこと?生きてる時に優しくしてあげられなかったからという後悔ゆえ?

いまさら。





幸せであることに卑屈になる必要は無い、不幸であることがなんら誇ることではないように。

生きてるだけで大罪を犯してるような気分になるのは何でだろ、罪悪感にうちのめされるんだ、カフカの『城』みたいにいつか突然身に覚えの無い罪で処刑されてしまっても唯々として従ってしまいそうに。

そう、でも、直接間接問わず 多くの犠牲のもとにわたしの命が成り立ってるから、だから幸せでなきゃいけないのだとも思う、その価値も無いのにそうならなければならないというプレッシャー。

幸せは見つめるものではない、なのについそれを観察しようとしてしまうのでなかなか、幸せになれない。





読んでるか書いてるか落ち込んでるか の三つがわたしの基本的な行動パターンで、これに寝るとか食べるとか料理を作るという項目が入って日常が成り立っている。

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