ゆめ か うつつ か
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大学のころ、民俗学の演習で、分野は問わず・自分が興味ある研究者について調べて発表するというものがあった。柳田・折口あたりの有名どころから、南方熊楠や高群逸枝、はてはクリステヴァなんかも飛び出して、けっこう面白かった。
それでわたしは、宇野円空という戦前の宗教学者について調べた。
何でこのひとを選んだのかというと、まあいろいろあるけど、一番の理由は当時マレーシアに長期旅行に行ったばかりで、マレーシアを対象にした研究者って居ないかなー、居るわけないか、と冗談のようなつもりで調べてみたら、この人が『マライシアにおける稲米儀礼』とゆう本を書いていたから。
円空さんは、戦時中に空襲で自宅および研究の大半が焼けちゃって、失意のうちに亡くなられるという痛ましい最期を終えられたのだけど、そういや修論でわたしが扱った文学者(を目指して、結局なれなかったひと)も、最終的には戦争でなにもかも全てを無くしてしまったひとだった。
なんか、そういう、地味な徒労のひとに、こころうたれる傾向があるらしい。
蒲松齢やカフカやルルフォなんかが好きなのもそういう理由かなあと思う、まあこのひとたちは立派に評価されているが。んーでもやっぱ、少数派の中の評価にすぎないか。
百年でも二百年でも残る本のことをわたしは書物だと思っているが、今の時代、そういう書物を読む人間は既に少数派だろう。
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