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指導教官&主査の先生から電話があった…出れなかった…論文取り下げの勧告だったらどうしようと二時間ほど迷った挙句電話してみたけど今度は先生が出ない。胃が痛い。
何でこんなに自信が無いかというと、過去その先生の下で二年で出れた人のほうが圧倒的に少ないから。しかもあたしは先生が一年海外出張してて居なかったので実質一年しか指導受けてないから。研究的良心のある方なのでいいかげんな学生には容赦なくて就職決まってても落としてた伝説がある。あたし含めいーかげんな大学生・大学院生のいかに多いことか考えるとそのほうが断然良いのだけど。論文自体は思ったほど最悪なシロモノにはならなかったがそれでも今年で出れる確率は50パーセントくらいだと勝手に見積もっている。のるかそるか。
いいもん 修士号なんてなくたって社会には出れらあ!(辞める気満々)
ゼロ・ゼロ=気象用語で視界ゼロのこと。
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印刷した論文チェックしたら掠れて大半が読めない→印刷しなおし→形式指定に文末脚注とあることに気付く→脚注付け直し→ページ数合わせ→目次やりなおし→印刷しなおし→6時家を出る。→7時途中下車、製本は時間的に無理そうなのでファイルを購入→8時学校へ行く前にマックでファイリングと表紙付け。→8時半受理。
締切り1時間前か…やっぱりギリギリ。しかも背表紙記入手が震えて欧米の留学生でも書かないような文字に。
提出して爽快かと言うとまだわからない。どちらかというと脱力感の方が強い。なんだか泣きたい気分なのだけど涙も出てこない。
私にできる精一杯をやったつもりだけど私のやることはいつも咎められてばかりいるので今から査問会でどう自分を守ろうかということばかり考えている。実際守る自分(主張・自説)なんてそうそう無いのだがそう言ってしまうと自己満足は研究ではないとかもう一年とか言われてしまう気がする。それよりなにより質疑応答で泣いてしまわないか心配だ。一時間耐えられるかな。そして専修免許の申請を忘れていることに今日気がついた。
視界ゼロ。
未だ何も見えない。
zero
ゼロ。
零。
半年前から悪夢としか思ってなかった今日が来てみたら至福の時だった。嘘。まだわかんないんだ終わったばっかだから…2007年1月22日午前5時47分脱稿。嘘。見直すのに飽きただけ。これ以上みてると根本から直したくなってきてしまうので危険だ…一番気合入れたのが後書きだというのは秘密だ…
大体、印刷しようと思ったらインクって黒だけじゃダメなんだね!プリンターの設置も全て同居人にやってもらったしどういう仕組みで動いてるのかよくわかんないし、明け方なのに助けを求めてしまった。いい迷惑だ。明日、じゃなくて今日の21時半まで提出でよかった。午前中にもう一回インク買いに走るぞあたしは。しょうがないので表紙の作成と学位の申請用紙の記入だけ先に済ませた。いくら寝過ごしても多分お昼くらいには起きると思うけどどうだろう…これで提出できなかったら泣く。ていうか笑う。
大体90枚、11万時弱かな…だいぶ削ったけど8万字は無理だった。本文は7万字くらいだからまあその辺で許してもらおう。。こんだけ一字一句に気を遣って仕上げた長文は初めてだ。「~である」「~だ」とかそういうとこまで全てにおいてチェックした。しかし既にこの論の欠陥が見えはじめた…教授が短所より長所を見てくれることを望む。この論の長所って何だ?執拗なまでのあたしの思い入れとか?
H大のドクターに進学したらどうかというお誘いやら推薦を何度か頂いた、があたしに研究は向いてないしもうそろそろ休息したい。否、社会に出たい。学会に所属しなかったのはそのこともある、勉強はまたやりたくなったら再開する方向でいきたい。
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後書きに書けなかったこと。Nは文化的渇望を訴え周囲の状況を「砂漠」にたとえた、砂漠で水を乞う人…水そのものを求める彼に対してあたしは水の美味しさを味わいたいと思った、文化という奔流に飲み込まれ翻弄されているあたし・飢餓感という部分で共通している、誰かあたしに美味しい水をちょうだい?Nの報われない人生の営みそのものがあたしだと思った、全て徒労に終わり銃を持って前線に追いやられ他人の命を奪いなお生き延びたN。弁明も弁解も許されず、その機会も得ず死んでいったNをせめて、悼む。
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明日から山に行きます。
メモは見つかったーよかったー。物質、物体、が何の理由も無く消失するわけない、って探し物するときはいつも自分に言い聞かせている。
内容ができたのでようやく「はじめに」を書いている。「はじめに」なんて、ほんとはちっともはじめじゃなくて、出来上がった内容に即して書くものなんだよね。しかしこれがまた…「論文要旨」も書かなくてはいけないのだがこれもまた…改めてあまりにも簡単、というか単純な自分の論理構造に愕然とする…
「謝辞」はあらかたできている。必要ない、っていうかつけちゃいけないのかもしれないけど、でも一週間くらい前から「謝辞」の推敲ばかりしている。ありとあらゆる感謝の表現を模索中なのだがしかしどうにも感謝の言葉ってバリエーションが少なくて、あたしがお世話になった方々全てに全ての謝意を表すにはこんな言葉じゃ足りないと目下、考え中。ほんとうに周囲の迷惑顧みずこの一年やってきたから、一部ではさぞかし恩知らず、というか恥知らずな人間だと思われていると思う。というかあたし自身そうやってこの一年の自分を恥じている。そんな思いまでして書き上げたものなので一応少しは愛着が湧いている、研究対象を愛せるようになったら一人前らしいので、あたしは卒論のときよりは多少進歩してるのだろう。卒論書き上げたときは愛着ではなくて執着、吐き気でいっぱいだった。
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あとは若干整えて目次と頁数つけたらおわる。でもギリギリまで推敲したいから印刷はまだしない。というかその前にインクと紙買ってこなきゃ・・・