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修善寺観光を急いだのは、なにを隠そう、このお寺を見たいからであった。。
このお寺→
東司(トイレ)の神・烏枢沙摩明王(うすさま、アグニの神とも)を祀るお寺。ぱら見したガイドブックに出てて、トイレと仲がよいmが「行きたい!」と主張。B級観光地好きを辞任するわたしも異議があるわけはなく。
修善寺から三十分ほどで着いたものの、だいぶ日が傾いて、境内もひっそり。そんななかやおら鎮座まします一物。公然わいせつ物スレスレなんじゃねーの、とか思いつつ、この寺の主旨を考えるとやむないところか。
どどーん!!
この後ろに本堂があり、おまたぎ おさすり として、儀礼的に設けられたトイレをまたぎ、男根・女陰をかたどった自然石などをさすってお参りする。
大黒さん(お寺の奥さん)がわざわざ開けてくれたお守りのお授け所には、いろとりどりのぱんつが並んでいて、まるでスーパーの日用品売り場。。しかもいちまいいちまい、すべてにありがたい御朱印が!!
御朱印(上方)入りのありがたいぱんつ。¥700。
昔だったらふんどし?夜尿症や婦人病、妊娠・出産などあらゆる下のことを司ってくれるらしい。お寺の縁起を伺ったところ、アグニの神=炎の神で、浄化の力を持つところから、トイレの神様になったと大黒さんは由来書きを片手に教えてくれた。
西伊豆の海岸。夕日を眺める露天風呂は時間が足りず入れなかったが、残照を眺めつつ、ひとっぷろ。今度はゆっくり西伊豆を旅したい。
*
おまけ。
「けっこん」て。笑。
カップル以外の生物は滅びたのかというほどカップルしかいない場所で、オッサンがひとり、デジカメで夕陽を撮影していた。もの哀しさにみちあふれたシルエットだった。。
二日目は、みかんの茂る丘を越え伊豆山中へ。
目指すは『修善寺物語』の舞台。青蛙堂先生(*岡本綺堂)大好きなので、一度訪れてみたかった。畑が続くのどかな道のむこう、清流を追ってゆくと修善寺へたどり着く。
街を貫くような川の流れに沿って、散策。修善寺は、小さな町だった。あいにく中心部は工事中で風情という点ではイマイチだったけれど、そこはそれ、得意の妄想力で補うことにする。なるほどこの川のほとりでかつらとかえでの姉妹が砧打ちしたりしたのかしら、かつらと頼家が語らったりしたのかしら……とかね。
梅香る境内に、達磨の顔。
竹林の小径。竹は、良い。
はこ湯とか素敵なカフェとか、見所もいろいろありそうだったけど、今回はさらっと回るにとどめる。帰り際、川近くの店で薦められたおまんじゅうが絶品で、思わず一箱買い求めてしまった。
着物か浴衣で散策したい、そんな街。
たまに脱走するってこと???こええええええ!!
しかしまあ、世界中のさまざまな種類のワニが一同に会してるので、そういうのが好きなひとにはこたえられないと思う。だが爬虫類嫌いな人間にはオススメできない。
そういやわたしは小さい頃、「人魚が居る水族館に行くんだよ」って言われてわくわくしてたら水槽の中には豚みたいな生物がぷかぷか浮いててえらい衝撃を受けたということがある。小さい頃は今に輪をかけて夢見がちだったらしい。。
混浴だが男女の浴槽は別れている、というので入ったら・・・・・女風呂は男風呂のまん前を通らないと行けず、しかも、男風呂の端からは女風呂が覗けてしまう(!)。下衆な男はいるもので、ひたすら男風呂の端っこに陣取ってにやにやと野次を飛ばしてくるやつが居て、砂浜に埋めたかった。
眺めは最高だったけど、もう二度と入りたくない。
まずは博物館で川越の街の成り立ちを見たり、庭の水琴窟を奏でたり(ひしゃくで水をすくいあげて石にかけると、その下に作られた甕の水が音を出すようになっている)。この水琴の音はぴんぽろんとあえかな音色でいともゆかしいはずなのだが、わたしは水をかけすぎて、ぽんぽんぽんぽんぽったらぽん・と大変愉快な音になってしまった。・・・・・いっぱい水をかけたら、いっぱいキレイな音が聞けると思ったんだ。
氷川神社を散策して、メインストリートへ。
どうでもいいけど市役所前の太田道灌の像は、手に持った矢が尻に刺さっているように見えてしょうがない。
蔵の街川越を表すオブジェの数々。郵便局の看板も立派な一枚板!この目抜き通りはさすがに小江戸の名に恥じぬ風情があって、外国人も多かった。
帰りにスーパー銭湯「ざぶ~んの湯」(*五分に一度、銭湯内に設置された大樽から盛大に滝が流れ落ちるエンターテイメントな湯)に寄って、帰った。