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ゆめ か うつつ か
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近くのショッピングモールをぶらついていたら、とあるシルバーアクセサリーのお店で「お姉さん、もしかして昔、教育実習やったことありますか?」といわれた。ビンゴ!で、元教え子だった。

教育実習やら塾講やら家庭教師やら教室アシスタントやら、学生時代教育関係に縁があった関連で、数年前くらいまで元教え子から声をかけられるのはめずらしくなかった。どうもわたしはどこへ行っても、小学校でも中学校でも高校でも、教師というよりは「話が面白い近所のおねーさん」くらいの扱いで、だから教育実習ではご法度の生徒とのメルアド交換も2、3やっちまったし、自分のそういうところがあまり教師に向いていないと自覚したので教職を見送ったくらいだ。

(誤解のないように言っておくと、メルアドを交換したのはもっぱら実習中に悩み相談を受けた女子で、なんだか自分の通ってきた路だなあ、つらそうだなあ、まあ何とかなるよ、少なくともわたしは何とかなったよなどとうだうだ返事にもならないようなことを呟いただけだったので、なんら犯罪性はないはず、と自負してはいる。)

ただやはり、わたしの授業が面白かったから覚えていたと言われたら、とても嬉しいではないの。



中学の実習でわたしの担当になったベテラン教師とわたしは最初から対立してしまい、アカハラとまではゆかずとも、わたしはけっこう苛められたほうだと思う。放課後、夜十時ちかくまで数時間延々と黒板を書かされたりもした。確かにわたしは字も汚いし、授業も手馴れていなかったがしかし、毎回生徒の目の前で間違いを指摘・証明することはなかったんではないかと今でも時々うらみに思うときがある。救いだったのは生徒たちが全面的にわたしに同情的だったところだ。「先生かわいそう」とみんな優しくしてくれた、教育実習にまつわる話はいろいろあるけどこういうパターンは実際珍しいほうだったんではないだろか。

あれからだいぶたって、教え子は立派に社会へと羽ばたき、わたしは相変わらずかろうじて社会にしがみついている、彼我の距離を思うと感慨深くなった。





 

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商業戦略にのっとった新しい七夕イベントはすべて新暦なのに、祭りだけ旧暦なのは、柳田のいう「祭りと祭礼」の違いか。米軍基地の町で行われる七夕祭りの屋台がやけに国際色豊かなのは、多国籍地域社会においての成員意識をはぐくむという点で、やはり「祭り」的。

 みずあめ。冷静に考えればこんなの、「みかんの缶詰+水あめ+割り箸」で、自宅で何十個となく再現できるのに、なぜお祭りでは大枚はたいてしまうのだろう。

ケバブ屋やタコス屋、トッポキ屋台を横目で流しつつ、たこ焼きやきゅうりの一本漬けに目が行ってしまうのは、日本人だから。エスニックの麻薬的な味もたまにはよいが・しかし基本はやっぱり白米味噌醤油万歳。経験上、誰しも生まれ育ちには逆らえない。イスラムに生まれた人間が知らずに豚肉を食わされたと知ると、知ったその瞬間から嘔吐する。ベジタリアンは肉を食うことに罪悪感を持つ。しかしそれでいて肉を腹いっぱい食いたいと望むひともいて、そのジレンマが、見事すぎて芸術的ですらある精進料理を生んだ。



 祭りついでに立ち寄ったお気に入りのバールで軽食。どうせ屋台で軽食三昧だったので、あくまで軽く、ミニパスタにアップルタイザー&ティラミス。前言を覆すようだけど、小麦粉っていいわ。煮てよし、焼いてよし、(麺に)打ってよし。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべての記憶を味覚で埋め尽くしたい。

 してみた。初めてのスライドケータイ。しかし今ケータイってやたら高いのな、貯めに貯めたポイントぜんぶ使っても四万くらいしたぞ。全盛期にケータイ販売のアルバイトした人間にとっては隔世の感。機体0円があたりまえだったからなあ。そのかわり基本使用料は格段に安くなった。これでやっと日本のケータイ業界も、ガラパゴスと揶揄されたサービス内容から世界的な標準に追いついたわけね。

前のケータイはきっちり三年使った。デザインケータイ、壊れるまで使うつもりだったけど、ICカード入れれば旧いのも使えるときいたし、それならむしろ壊れないうちに替えておこうと。

万歩計がついていて、消費カロリーが計れるのが嬉しいところ。自分がいかに歩いていないかがよくわかって、嬉しくて悲しいところ。



怖かったこと。

寝起きにケータイのアラームを止めたあと、寝ぼけててスライド部分をむりやりふたつに折りたたもうとメリメリ、力をいれていた。ややあって自分が何をしでかしているのか気付き目が覚めた。ケータイは無事だったが、正直アラームよりも心臓に悪い、セルフ目覚まし。





この前、伊東のアンティーク雑貨屋さんで手に入れたヴィンテージアクセ。

 黒レースネックレス&お花のバレッタ。

タイダイのような色とりどりの滲む色彩も、こういう無彩色にちかいぶっきらぼうな色合いも、どっちも好き。



「絶対音感」の話は一時期テレビドラマや小説なんかでとりあげられて話題になったけど、じゃー「絶対色感」なんてのはあるのか、なんて思ったりする。知人で「すべての色に音が聞こえる」というひとがいたけどそれはちょっと違う気がする、でも色に対して敏感鈍感はあるよね。

わたしの経験そして幼児心理学によると、女性のほうが男性よりも色に対してより敏感であるらしい。幼児にお絵かきをさせると、女児は線ではなく色を重視する。男児は色よりも線を、単純なもののかたちを重視する。



EX.

●サーモンピンクのブラウスを着ていたら、弟には「オレンジいろ」と言われた。(どうやら彼には微妙な色の区別がつかないらしい。朱色と赤の区別もつかないようだった)

●姪っこにわたしの手帳を見せていたら、白紙のメモページが続くなか、写真を無数に貼ってあるページで指が止まった。そうして、色とりどりのそのページを、「きれいねえ」とじっと見つめていた

●おなじく弟はmおさないころ直線がつづく無彩色の迷路を描くことに夢中になっていた

・・・・・・などなど。




台風からこのかた、一足飛びに晩夏をむかえたかのような涼風に、ありがたいやら薄気味悪いやら。自然ってのはおそろしい。

そしてわたしはこのごろ頻繁に地震の夢をみる、ああやりきれねえ。いわゆる軽度のPTSD、心的外傷だとすればまったく柄でもないし、予知夢の類だとしたらますますもって御免こうむる。夢くらい平和でこころやすらぐものを見たい、ごちそうの夢とかさ。



そういえば伊豆で「ヤドカニ」という看板を見かけた。

母の反応:「蟹っていう民宿かしらね」
わたしの反応:「ヤドカリみたいな蟹? 食べるとこ少なそうだな」

ナゾのヤドカニ。いったいなんなんだお前は。



食い気ついでに。夏の夕べのしらたまあずき。

 氷はサービスでかけてくれた!!

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