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mにもらった。後味が確かにシソ。
ペプシと思わずに飲めば、わりと爽快。
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母がわたしに話すことは他人への不満が多い。
信頼されているのは光栄だけれども、何せその類の話は疲れるので「少し黙ってくれ」と言ったことがきっかけで、少々遣り合う。
そういう時の母は理屈がまったく通じず、「親子は他人ではないのだから」と言う一方で、「共に住んでいるならば何か見返りを期待したい」と矛盾したことを言うので
「ああ、それではもしもわたしが重度の障害を持っていて、何ら見返りを期待できない人間ならば、あなたはわたしを殺すのでしょうか」
と つい 言ってしまっていたく反省した。
わたしは、この世には自分と他人しか居ないと思っている。
そう思うと許せることが増えるからだ。
見返りを期待するような人間関係はできれば避けたいし、実際わたしは見返りを期待せず母の話を聞いているけれど、その代わり、聞くことができる量も限りがあるわけ。
わたしは不実だろうか?
仕事から帰った深夜っていうか早朝、M・J氏が倒れたというニュースを聞き、そのままぶっ倒れるように眠って起きたら亡くなっていた。
アーオ!
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最近ハマっている、アボカド。
まっぷたつにして種とりのけてできたくぼみにしょうゆとワサビ、そんでスプーンでくりぬいて食べるだけ。熟してるのを選ぶのがコツ、皮を触るとちょっと柔らかいような。あんまり熟しすぎても繊維が混ざって口当たりがよくないので、見極めは難しいけど、食べごろは濃厚でとろっとしてて美味しい。
初めて食べたのはベルギーに引っ越したGを尋ねた16の冬で、
Gのお母様が「これ、駐在の人がね、お刺身が恋しくなったときに、トロの代わりに食べてるの」ってスライスしてしょうゆをかけてくれた。それまでアボカドというものの存在すら知らなかったので、果物にしょうゆをかけるという行為に衝撃を受けてあまりじっくり賞味できなかった覚えがある。
ムール貝をバケツでたらふく食ったなあ。ありゃあうまかった、が、一番うまかったのは真冬の港町、屋台に出てたホットワインだな。帰京してから赤ワイン買ってきて蜂蜜とか足して鍋であっためてみたけど、ものが違うのか、はたまた混ぜ物が違うのか、ちっとも美味しくなかった。
mと逢瀬中にみかけたわんこ。すごい人懐こかった!
今『犬の愛に嘘は無い』ていう本を読んでいる。いろいろ面白いことも書いてあるが、とにかく「犬大好き!わたしの犬への愛に嘘は無い」って感じの人が書いてる本なことは間違いない。
それはとりもなおさずわたしがこの仕事場に来てから一年近くなるということだ。時が経つのは速いもんだ。相変わらず自分がものの役に立っていると思えないのだが、少しは自分の周囲を見渡せるようになった、と思いたい。働くことを考えるとき、わたしは心の底から「独りじゃやっていけねえな」と思う。(ひしめき軋る歯車の中に飛び込む勇気!)
存在する、生きるというのは磨耗するということだが、はやくなめらかな飴色の輝きを放ちたい、棘や角を取り去りたい、その一心で時の流れに身を任せている。
……ところで「時の流れ」って明らかに河を意識した言葉よね、そもそも時はそんな、水気のあるものなんだろーか。水の性質を持つのなら淀んだり腐ったり反乱したり流れ落ちたりもするのだろーか。
そういう時間を見てみたい。