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ゆめ か うつつ か
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20代も黄昏の弟に、小学校の同窓会の知らせが来た。

弟「へぇ、幹事の女子三人連名のうちふたりが旧姓だ。まあ今はこんなもんだな」

私「養子を取ったのかもよ? Gに聞いたんだけど、あんたの学年のA君、養子に行ったらしいし。次男だし、まあ相手の家に跡取りが居ないなら妥当かなと思ったけど。ご両親は何でか相当がっくり来たらしいってねー」

弟「えっ! マジで、Aが!? そりゃがっくり来るだろ! もともと失わなくてもいい息子を失ったんだぜ!」

私「え、何で? 失ってないでしょ、息子は息子でしょ。だって子どもが女だったと思えばさ」

弟「いやー、結局、自分の名を継ぐ子孫をどれだけ残せるかでしょ! 陣地争いみたいなもんでしょ! オセロみたいなもんだよ、ひっくり返したもん勝ち」

私「……え だって 私は、別に、陣地なんて気にしないけど」

弟「お前は端からひっくり返る気ないだろ」




そのとおりでございます。

っていうか、そんな、「陣地争い」とか言うからこの世から戦はなくならないんだぜ!!

人は懸命にゲイになる努力をすべき、とフーコーは言った。

性(セクシャリティ)の多様さは生の多様さであり、自らの生き方の可能性をひろげるために、人はゲイになろうとしなければならないと。

哲学的につきつめると、人間はよりよい生き方を模索すべきで、それはより多様な生き方を容認すべきという話に繋がる。

差別も偏見も迫害も無い世界を、いつか形成できたなら。


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かつての日本に、小学校しか出ていないのに総理大臣になったひとが居た。それは大変ロックな出来事だが、ロックとはいうまでもなく反体制、反日常、反常識を意味する。


あたしはいわゆる「受験戦争」末期の出身、WWⅡで例えるなら1945年4月ごろに赤紙を受けとったくらい末期だろう、しかしわたしは徴兵を逃れ、高校も大学もまともに受験をしなかった。「うちてしやまむ」と言わぬばかりの兄姉の華々しい勝ち戦・負け戦をつぶさに眺めていたからでもあるが、とことん平和主義、というかやる気がなかった。成績表を出したら適当に受かった高校にゆき、留学後にわか勉強で受け間違えた大学にとりあえずそのまま通ってみた、流されるのも命がけだとはいえ成り行きに逆らわないで良かったと今は思う。

それにつけても義務教育時代は学校がキライでしょうがなかった、何の罰で気も通わぬ奴らとひとつ箱に押し込められて長時間、足並み揃えて……何故みんな従っているのか……あるいはみんなとても頭がよいのかもしれない、あたしがバカなのかもしれない、バカになれないあたしがいちばんバカなのかもしれない。

だから誤解を恐れず直言すると、中卒に憧れた、中卒になりたかった。ロックな生き方をするひとは体制そのものになるか体制に殺されるかの、二者択一だとしても。


ようするにあたしに足りなかったのは 勇気 だ。

エクストリーム・アイロニングというスポーツがある。

ひところTVやラジオでも取り上げられていたので、ご存知の向きも多かろうが、ようするに海の中や山頂、空中など、極限状態(エクストリーム)でアイロンをかける、というものだ。

かつて、弟が服を着ながらにしてアイロンをかけていたのを観てよく焼けどしないものだと感嘆していたら、「こんなのは序の口」とばかりに教えてくれた。その場は「マジで? ありえねーワハハ」で終わったのだが、しかし、最近アイロンがけが好きな男性の多さに気付いて、ちょっと調べてみた&考察してみた。

その始まりは1997年、イギリスでさるアルピニストが提唱したそうで、日本にもちゃんした組織が存在し、『そこにシワがあるから』という入門書まであるらしい。なるほどアルピニストが提唱しただけあって、登山家の名台詞をもじっているのがこころにくい。

言うまでもなく、まっとうな勤め人の男性ならシャツは制服、アイロンは必然である。
そもそもアイロンがけは重労働だし、我が家では男性の仕事となっている。アイロンというくらいで鉄の塊で重いうえに暑い、その上綺麗にアイロンするテクニックというのは確かにあるので、そのへんがスポーツ的な要素たりえたのかもしれない。

そうして「アイロンのスポーツ性」まで考えてから、「エクストリームの精神性」をかんがみてはたと気付いた、

小学生くらいの男子が坂をノーブレーキでかけおりたりブランコからの飛距離を競ったりはたまた暴走族がチキン・ランする、これらすべてエクストリームじゃね???

っていうかつまりそういうこと、児戯にひとしいってこと、レベルS(小学生)。

だってエクストリームアイロニングに女性の競技者が少ないのもそうじゃん、アイロンなんてせいぜい安全な場所=家庭内でやるだけでおなかいっぱい、わざわざ危険な場所でやってどーすんの?って主婦ならいうだろう、でも弁護しておくと小学生だって命張って遊んでるんだぜ!

キライじゃないです こういう精神性。












仕事の都合上、正午近くまで寝ていることがある。

幸い家は比較的閑静な住宅街にあるのだが、最近、昼近くになるとやたら仕事熱心な豆腐屋が回ってくるようになり、20分ばかり朗々とラッパを吹きならしては「とーふー、そーうざーいー」と、安眠妨害も甚だしい。

この豆腐屋がまた決まって若い青年で、幟を立てたリヤカーを引いて走る、昔ながらの出で立ちで、郊外ばかりか都内でも頻繁に見かける。

ありゃなんじゃろう、と弟に話してみたら、

弟「若い人を勧誘、洗脳し豆腐を売らせて上納金をせしめる悪の組織だったりしてね」

……悪の組織にしては売り物がヘルシーすぎる! もっともうかりそうなもの売るでしょ普通。。





ちなみに最近アキバでオタクを狙った宗教勧誘や強制販売が頻繁に起きているらしい。何気なくショーウインドーのガンプラを眺めていた弟は、30過ぎくらいの男に「友達になってください」と声をかけられたことをきっかけに執拗な宗教勧誘を受けたと愚痴をこぼしていた。一歩間違えたらゲイのナンパだな。

しつこい宗教の勧誘を受けたら、「神様なんて居ないよ、信じないよ」等まともに神義論を語ったりしてはいけません。勧誘にはマニュアルがあるので、そういう議論は勧誘者にとってむしろ都合がよいからです。

嘘でも「自分は●●教徒である(●●は宗教名、例えばキリスト教とか)、わたしにはわたしの信仰がある」と言えば、こころある勧誘者ならそれで引き下がってくれるはず。

引き下がってくれなかったら「わたしが神です」「実はわたしは宇宙から来たんです」など、相手のマニュアルに無さそうなトンデモを語ってみるのもよいと思います。


電車でうたた寝していたらふわりと甘い香りが漂ったので、目を開けてみたら隣のイケてるメンズ風男子学生が板チョコをかりぽり、子リスちゃんのようにかじっていて、何かすごく可愛かった。これがガーリーな女子学生でもきっと可愛いのだろうが、男子学生というところに、普通とはちょっと違う可愛さがあった。

板チョコ   ×  男子学生    >>>   板チョコ  ×  女子学生    という可愛らしさの不等式。

しかしこのアイテムが仮に大盛りラーメンだとして、

大盛りラーメン×女子学生 が、 大盛りラーメン×男子学生 に勝って可愛らしいかというと、あたりまえだがそうではない。

それは、「ラーメン」というアイテムが基本的に「可愛らしさ」にとってマイナスイメージだから。





意外性、「ずらし」は笑いの技巧だというけれど、魅了の技巧でもある。
よくあるのは「オタクなのにかっこいい or かわいい」。この条件付け、「オタク」の部分があとにくるか先に来るかでだいぶ違ってくる。そうしてオタクかわいい女の子はけっこうざらに居るのに、オタクかっこいい男の子はさほど居ないのは、さきのラーメンのたとえではないが、「オタク」という語感そのもの(インドア、虚弱、博識、小柄、無口)に、「かっこよさ」へのマイナスイメージが含まれているからだろう。

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