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ゆめ か うつつ か
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「転勤族っているじゃない、全国あちこち引っ越して回る。あれ、ああいうのわたしは経験無いんだよね、引越しだって大人になってから留学したりなんだりでようやく二度ほど、しかも常に本拠地は自宅。生まれてからずーっと自宅。親父が公務員で転勤無かったからね、ずっと地元で生きてきて、なんとなく学校も就職も自宅から通えるところでずっと考えていた。大学時代、地方出身者の友達はみんな当然のように東京以外も視野に入れて就職を考えていて、そういう彼らをオトナだなーって思ってたけど、違くて、ほんとはわたしがコドモすぎたのね。オトナだなーっていうのは、つまり彼らは『世界のどこに行っても自分の居場所をそこに作り上げるぞ』っていう覚悟があるってことじゃない? わたしはそういうところ何かどこか甘い、覚悟がない。

渋谷だってハラジュクだって行こうと思えば毎日だっていける、手の届くとこにあるけどでも別に行かなきゃいけないわけじゃないし第一あの街のコードに準じるのめんどくさいから全然足を踏み入れない、この辺に居る昔からの友達にはそういう子が多くて、オシャレにさほど、興味がない・・・・・・だって東京だからって『オシャレ』じゃなきゃいけないわけではないしね、がんばらない、がんばりたくないんだ。地方から来たひとのほうがセンスがよくてオシャレで、自分の無頓着さにときおり恥ずかしくなったりする、それは無論個人の性格にもよるだろうけど、根本のアイデンティティ形成の過程においてそういう地方格差ならぬ中央格差、中央付近に居ることによって欠落してしまう部分があるんだなって思う。

つまりハングリー精神っていうか、がんばって中央に出て、都会人になるぜ! っていう意気込みがわたし含め大都市近郊の人々には薄い、ような気がするのよね」

 

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こないだ伯父が亡くなり、告別式に参列した際、故人の位牌と遺影と骨壷を、喪主である妻と子ども二人で分け持っていた。

うちは四人も兄弟姉妹がいるので、そのなかでも三番目で次女のわたしは、きっとなにも持たせてもらえないなあと思った。

兄弟姉妹の順序から言えば位牌も遺影も骨壷もなにひとつ持てないし、霊柩車に乗れる親族も三人までだから、わたしは亡骸と一緒に焼き場に向かうこともできないだろう。

葬式なんて何式でもいいや、そのひとの望むやり方でなら、と思ってるけど、でも日本の法律だと火葬にしなけりゃいけないわけで、その段取りのことを思うと胸がずしんと重くなって、ものすごく悲しくてものすごく泣きたくなる。

これってやっぱり親離れできてないってことなのか?

 

抹茶粉をまぶしてるらしい。袋つきで1050円也。

……これなら自分で作れそうだな、と思った。


最後に他人とつかみあいのケンカをしたのは実はハタチくらいで、もういいオトナだった、と言いたいけれどもそうでもなかった。それから十年くらい経ったいまでもあまりオトナになっているとは思えない。もっと言えば小学校くらいから感覚が止まったまんまのような気がしている、そのころから死にたかったしそのころから世界に違和感を感じていた。

ケンカ相手はルームメイトの同い年の韓国人で、韓国のひとは情熱的だということを割り引いても、かなりエキセントリックな子だったと思う。わたしは彼女に何発か殴られ、突き飛ばし合い、レスリングさながらのキャットファイトもした。原因はすべてささいな生活習慣の違い(異文化の差異)で、そういうすべてに嫌気がさしたわたしが引っ越す(=逃げる)ことで事態は未解決という解決をみた。

それでも彼女はわたしを心底嫌ってはいなかったと思うし、わたしも彼女を好きだった。

それでも確かなのは、わたしは逃げたということだ。
彼女がとことん、殴り合ってまでわたしに向き合おうとしていたのに、わたしは逃げた。

そのときわたしはこの先一生自分が他人に向き合えるときなんて来ないのではないかと思ったが、しかし、生きてみると、実はそういう挫折や失望は頻繁に起こりうるのだということがよくわかった。韓国そして韓国語を学んだのはそういう事情が主だ。

「韓国人は全員、心の奥底で日本人を憎悪している!」 と叫ばれた、その意味を知りたかった。

ウォン安でK-POPブームだけど、明洞や南大門市場は行っても、西大門刑務所で日本人から凄まじい拷問にあっている韓国人の人形を観光しに行く日本人は居ない。

それはよろこぶべきことか、忌むべきことか。

 

大学時代の先輩に、「婚活は考えてないの?」と尋ねられた。
顔の広いひとだったし世話好きだったし、多分親切心からだろうが、でっかいお世話だ。。とは言えなかった。

たぶん世の中、年頃になったら結婚して子供をもうけて、ってのが幸せだというのはゆるぎないひとつの価値観で、でもそれはあくまでも「ひとつ」に過ぎないということを、わかっているひとは少ないと思う。

わたしは十代のころから「非・結婚願望」(=結婚したくなーいという思い)を標榜していた、それもまた少数派だとは思うけど。でもわたしは自分と違う人=結婚したいという人、を、おかしいとは思わなかったよ。今の思いは「どっちでもいい」に近いしね。頑なになることはないかなと思っているが、しかし、結婚のために「活動」するのは、ちょっと違うと思っている。

結婚て、不自由で理不尽でどうしようもないものだって、わたしは身近なひとたちを見て知った。それは取引にも似ている、拘束、束縛、見返り、代償・・・・・・。

結婚というコトバにこだわらず、わたしはただシンプルに、あいするひとと共に居られればそれでいいと思う。

それがすべてだと思う。


 

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